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記事題目

「京城に於ける佛敎伝道」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1905年7月10日

本文

○京城に於ける佛敎伝道 京城に於ける本邦人中には信仰厚きものもあれど、概して利のために狂奔せるのみにて、宗敎の觀念に乏しく、個々葬祭の時に際して僧侶の在らざれば體裁悪しゝと云ふの必要より、表面上信徒となり居る位の事にて實に慨すべきの至りなり、韓人にありては自ら其數大に增加し、殊に本年一月以來は頓に增加の傾向あり、是れ蓋し戦勝の結果にして、日に日本の勢力強大なるを以て、眼前の利に敏き韓人等は身體財産の安全を期せんには何事に不拘、日本の勢力を藉らざるべからざるを知り、ために續々入會を申込み來れりと、故に信徒中一朝入獄する等のことあるも、我信徒なること判明せば當該官吏に於て不法の取扱をなさず、其他社交上に於ても少からぬ便宜あるに依ると云ふ、されば最初は敎會に出入するものには(浄土宗にありては念佛修行をなすもの)相當の日當を與へ、竝に茶菓の饗応までなし來りたるも、今日にては韓人自ら進んで入會申込み來れるのみならず、中には熱心なる信者さへも顯はれ、尚ほ多少の寄附さへありて、經費の如きも各本山より補助を仰がず、独立して經営し得るに至れり(中略)而して目下處在の本邦敎會には左の參種あり。
京城浄土宗開敎院     主任 松岡 白雄
日宗會堂         主任 加藤 清亮
本願寺別院        主任 井波 潜彰

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