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記事題目

「対鮮敎化運動の障害 妙心寺派の野心」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1920年12月22日

本文

鮮人敎化の爲めに内地佛敎各派より布敎使を派遣し相當資力を盡し居るに拘らず妙心寺派の野心の爲めに今や一大障害を來し内地各派布敎使は孰れも迷惑を感じつゝあるやにて最近梵魚寺の李湛海、通度寺の金九河、中央學林の朴漢永の各氏及び李根皓男、宗秉畯子の各華族と談話の結果を綜合せる高瀬孝仁氏の通信に曰く、
長沙洞妙寺の後藤瑞厳氏と慶尚道海印寺の李晦光氏とが互に日本佛敎朝鮮佛敎の代表と名乗つて提携李完用伯の盡力に依りて佛敎振敎會を興し朝鮮佛敎の振興を計ろうとしたが誤解からか野心からか知らないが朝鮮佛敎を内地の臨済宗に依て統一し朝鮮寺院を妙心寺派の末寺としやうとの運動であると評され、朝鮮僧侶及び有識者の反対を招き朝鮮佛敎界に暗流を生じ之が爲めに參十本山委員長姜○蓮氏は訴訟まで提起したとか、最近に出來た朝鮮事情の一である、伊藤博文公の時釈雲照氏が此のやうな事を企てゝ見事失敗されたが此の時は伊藤公に叱られて下つたので餘り知れ渡らなかつたが、今度は殆んど全鮮の僧侶は勿論 有識者間に知れ渡り日本佛敎を猜疑の目を以て見るやうになり、日本佛敎家の対鮮運動を目して朝鮮佛敎を日本佛敎の一宗派に属せしめんとするのでないかと疑念して容易に肯はんとしない従つて一宗派としての対鮮運動が元來不利になつた、實際朝鮮に於ては宗派的色彩を帶んだ 宗敎運動は却つて鮮人の宗敎心を頑にし門戸を閉鎖せしめる、兎に角此の事情は朝鮮佛敎の爲めに日本佛敎が力添へをするのに大障礙を來した。(後略)

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