植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「愈具體化されて來た内鮮佛敎徒の提携 十年計畫で五百の鮮人布敎師」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1924年3月20日
本文
朝鮮佛敎大會の李副委員長は既に各國務大臣及び各宗管長の賛成を得て徳川頼倫候の斡旋により總裁に某宮殿下を推戴すべく打合せを了し來る二十一日京都發歸鮮の上大會の決議を經て推戴の願書を總督府經由宮内大臣に差出す事となつた。
更に李氏は日鮮佛敎徒の提携を具體化するため本年度より鮮人青年を各宗大學専門學校へ五十人宛依託する事とし十年計畫を以て五百人の布敎師を養成すべくこれまた各宗管長に諒解を求めたといふ、猶内地支部は京都の清水寺、東京の增上寺に設置することに決し京都支部は大西良慶氏、東京支部は道重信敎氏に創立事務を委任し道重氏の入洛を機として參氏は清水寺で記念撮影をした、目下大阪、神戸の支部設置につき考究中で李氏は○淵京都市長の紹介を以て今明日中大阪の府知事、市長、毎朝両社長訪問その後援を求むる、李氏は右の經過を齎して本社を訪れ次の如く語つた。
朝鮮敎化の要諦に就て朝鮮佛敎大會の使命を報道して貰つたので到る處で諒解され説明を用ひずして非常な賛成を得た事を感謝すると共に鮮人布敎師の内地養成に就き特に応援して貰ひ度い朝鮮には新舊基督敎に五千人の伝道者が配置されてゐるに比し佛敎の方は甚だ寥々たるもので殊に内地の布敎師は勢力争ひの氣味あひがあつて布敎の力が鮮人に伸びる餘裕を持つて居ないのは遺憾の至りである、今後鮮人布敎師を内地の各宗大學なり専門學校で養成して貰へば朝鮮佛敎大會は超宗的な立場で真實の佛敎を宣伝し朝鮮文化の啓發に寄與する事が出來ると共に内鮮佛敎徒の後援は最も確實性を帶びて來ると信ずる云々。
因に氏は京都に於て十四日普門會の後援會に朝鮮佛敎事情を訴へ、十七日清水寺の音羽婦人會總會に朝鮮事情を語つて一般の諒解を得たとうふことだ。