top of page
植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮の佛敎問題 朝鮮總督府學務局長談」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1922年7月22日
本文
朝鮮全道の敎育宗敎を統括するところの柴田學務局長を官舎に訪うて朝鮮在來の佛敎に対する所感を叩く―
△實に朝鮮の佛敎僧侶には困つたものだ、寺刹令を布いて十餘年紛擾の絶へたことはない、折角纏つたと思へば崩れる、仲よく共同提携しつゝあると思へば破綻する御承知の態だ、暗闘排擠反目如何にも手がつけられぬ状態だ、僧侶としての信仰見覺といふものがないといふたい、愚にもつかぬ勢力の争闘に日も亦足らず、終には自滅するより外に道がないような有様である、僧侶らしき信念のあるものとては實に僅少だ。
△如何にかして之を救済したいと考へてこの程から參十本山の住持を説いて本山末寺から醵金して財團法人を組織して之を中心核心として一集團を作つて仕事をさせたいと思いて調停奔走している次第である、随分あやしげな僧侶もゐるのでなるべく擁護指導する決心でかゝつているが、黙まつて見ると得手勝手な事ばかりいつてる、或は強迫され或は架空な議論に迷妄する、だからといつて捨てたら到底彼等には自治の精神がないから何も出來ない。
bottom of page