植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮佛敎大會私見」
作者
内蒙古茂林瘤 吉田無堂
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1929年12月3・4・5日
本文
佛敎大會の散漫と無責任に中毒してゐる私が京城と聞いてはヂツとしてはゐられなかつた。出席に關しては當の興正寺本山よりも東京の佛聯や京都の護國團の人々が色々に盡力してくれたのが嬉しかつた。(中略)
第一に朝鮮卅一本山の鮮僧諸君が社會的に地位の向上すると共に相當大の自覺と自信を有つてくれる機會となつたことを感謝する。萎縮沈滞幸ふじて形骸を遺してゐるに過ぎなかつた朝鮮佛敎永年官民の圧迫と侮蔑とに存在価値を失ふて居た朝鮮僧侶、それ等が復活の楔機を得た。私はそう思ふ。(中略)
第二には日本佛敎史上最初の事實としてかくも多數の代表者が同一運動の爲め法衣の袖を聯ねて大陸に掛錫したと云ふ、ただその事である。遣唐使船の盛んとなりし頃多數佛敎徒の入唐はあつたが數に於ても質に於ても本大會程のものではなかつた。此の事たる内容を問ふ必要がない「何年何月日本佛敎代表百餘名京城に行く」たゞそれだけでよい。大會そのものを別として私の慾望の先き廻りを認めてくれるならば諸高僧が大陸の氣分を知らず、内地渡航の朝鮮人のみを眺めて朝鮮を想像してゐたに過ぎなかつたに、ホンの一鳥瞰でもよいあらゆる階級の人々を見内地人の生活關係を知り博覧會に於ける文化の發達を察知してくれたことを嬉しく思ふた。(中略)
最後に私は本大會がもたらした最も重要なる日本佛敎界未曾有の一大事實に遭遇したことを喜ぶ。文部省の代表者は何と感じたか同宿しながら聞き漏らした。一般高僧は餘り感づいてもゐないが參日間を通じて何人からも聞かなかつた。内務省の神社局では記録的台事實だと思ふ。それは吾々が總督府に於て開會式を上げる其の朝、先づ朝鮮神宮に參拝して代表管長が宮司に導かれ玉串を供え、一同敬神の誠を表した一事である。(中略)この未曾有の一大事實が論理や形式を突破して向後の日本國民に何事を話しかけむとするか日本の神は吾が國民道徳の目標である如何なる宗敎宗派のものも日本國民にてあらむ限り敬すべく禮すべく従つて其の儀に順じ其の式を踏むべきである(中略)此一事が鉄槌となつた事を嬉しく思ふ一人である。
要するに今期の大會は場所の關係といひ準備委員諸氏の周到なる用意といひ、従來の同種のものと異なつて空虚な愚論を拝して大衆の肉體の動き方を中心に様々な効果を個々に與へた上に如上の參大成果を得せしめた点に於て大成功であつたと思ふ。