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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮全土に佛敎を振興させやうと生まれた朝鮮佛敎普及會―先づ一般家庭に佛壇を―」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1930年6月22日
本文
現在朝鮮に於ける佛敎は甚だしく衰微してゐるから之を振興して精神的振起をはからうといふので昨年十二月男爵李允用氏を會主とし李元錫氏を副會主とし
徳川家達、清浦圭吾、木辺光慈、山下現有、加藤精神、北野元峰、秋野孝道、道重信敎、佐伯定胤其他
多數を顧問とし相談役、賛助會員等に佛敎界の名士を網羅して成立した朝鮮佛敎普及會は愈々實行に着手することゝなり先づ朝鮮の一般家庭に佛壇を安置せしむる運動の手始めとして最も一般向である觀音經百萬部を十參道の同胞へ篤志者の寄贈を受けて配布することゝなり副會主李元錫氏が目下東京に在つて奔走中である。尚同會は一面右の運動と竝行して講演、映畫、文書等により佛敎精神の宣伝及思想善導に努めると、因に同會の標語は左の如くである。
佛様は仰せられました「敎ふものは救はれる」と。佛法は往昔朝鮮より伝來した。コンドは内地より朝鮮へ。大慈大慈の大精神を―。
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