植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮日宗布敎統一△朝鮮護國寺宗門引継」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1918年10月29日
本文
朝鮮京城日蓮宗護國寺は杉田日布氏が同宗朝鮮布敎司監時代より宗務院へ引継の交渉ありしも或事情の爲め遷延し居りしが昨年頂岳宗會議長の滿鮮敎學視察及び仁川妙國寺住職黒田慧海氏斡旋の結果愈よ交渉纏り護國寺の創立以來二十年間同寺の經営に係り今日あらしめたる現住職加藤清亮氏は敷地本堂庫裡を始め接續地の借地全部を擧げて宗門に提供すると同時に同寺を引退し豫ねて同氏の宿志たる朝鮮内地の宗務視察、文書伝道及び慈善事業の爲めに後半生を送る筈にて既に本年一月中加藤氏と宗務院代表佐藤敎學部長との間に仮契約を締結し、加藤氏が護國寺をして今日あらしめたる勞に酬ゆべく宗門より六千圓の慰勞金を贈くることゝなり既に諸般の豫備交渉を遂げ目下敎學部主事山田一英氏京城に出張し引継事務を執りつゝあり、後任住職は本月四日付にて任命せられし朝鮮布敎司監澁谷文英氏任命せらるべく來十一月十六日會式執行の日を選び新舊住職の更迭披露を爲す都合なりと、従來朝鮮に於ける日蓮宗は寺院敎會所の間に海外宣敎會系統と宗務院派遣布敎師系の二系統あり、海外宣敎會は直接宗門の保護に倚らず独立經営し何づれも微々たる敎會所より寺號を公称するに至りしもの自ら一團を爲し宗門直営の寺院敎育會との間に情意の疎通を欠き一宗の朝鮮布敎を監督すべく布敎司監を京城に在任せしむと雖も總督府に於ては朝鮮在住者の管理者を立てしめ總督府は管理者を以て代表者と認め布敎司監なるものを認めず、布敎司監は總督府に対して何等の權威も責任もなきを以て朝鮮に於ける寺院敎會僧侶を監督する上に政令二途に出で不便少なからず、京城護國寺は地の利を占むると伽藍等の設備完全するを以て同寺に於て布敎司監の事務を執るを便とすれども護國寺は海外宣敎會系の重鎮寺院にして住職加藤氏は總督府に対する管理者を勤め居れば布敎司監と両立し難き状態に在りしを以て是非二系統の統一必要を認められつゝあるが折柄機運純熟して護國寺が全部宗務院に引継がれしは同宗の朝鮮布敎發展上裨益する所少からざるべしと云ふ尚引継完了後は布敎司監が護國寺住職として同宗寺院敎會の管理者となるを以て總督府に対しても宗務院との關係に於ても事務の統一管捷を見るに至るべく、又護國寺は京城に於て東西本願寺を除き屈指の寺院にして貸地の所得のみにても年収六七百圓を下らずと云ふ