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記事題目

「朝鮮東西本願寺の握手」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1920年3月16日

本文

(東の溪内布敎監督の西の松原布敎總長への呼びかけにより、去3日に新任の總督府横田局長外7名を招いて歓迎會を開催)
元來朝鮮の佛敎は真宗、浄土宗、真言宗、禅宗、日蓮宗の五宗で宗派別にすれば十五派であるが、何といつても東西両本願寺の勢力が最優位にあるので双方に常に相當の理解があつて進むなら可成り意味ある仕事ができねばならぬ訳で、こん度の歓迎會も二つ返事で纏まつたものであらう。而して尚その上に歓迎會の副産物として東西合同の「敎務研究會」なるものが生れた、即ちつくづく來し方行く末の事を考へて見ればもう宗派の勢力争ひ位に暇をつぶして居るべき時ではないといふので、毎月一回位内地とは事情の異なつてゐる朝鮮の監獄敎務について東西の敎誨師が顔を合して敎務の研究を進めたらどうかといふ相談が熟して善は急げと歓迎會前の二月二十八日にその第一回が西本願寺で催された。若しこの新氣運が無難に成長して行けば將來の朝鮮開敎に随分大きな仕事ができるやうになるだらうとの事で東西共に好感情で會の仕事を進めて居ると云ふことである。

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