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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮開敎時談」
作者
曹洞宗朝鮮布敎總監北野玄峰
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1913年8月21・22日
本文
▲朝鮮僧侶の扶掖 朝鮮に於ける在來の僧侶は久しき間賎民扱を受けて居つた因襲の爲めに社會に対して一種の恐怖心を懐き常に卑屈に流れ尻込みをする癖が抜けぬ、先年我が曹洞宗と提携すべく朝鮮の圓宗を代表して内地に交渉に來た李晦光は其後自坊の海印寺へ歸つて居るが衲が一昨年赴任した時總督府に交渉して京城の監獄に居る鮮人の囚徒に対して李晦光が敎誨に行つたことがある、監獄の方では敎誨が善かつたと云つて歓迎して居るがどう云ふものか唯一回遣つた丈けで其後中止して居る、或は李のやうな僧侶でも何となく社會に対して尻込みするのでなからうかと思ふ、恁う云ふ風で朝鮮の僧侶は民團長だとか駅長とか税關吏とか警察官抔に向ふと態ざと交際を避ける様にして居るから社會との交渉がない、先頃元山へ行つた時地方の官吏から講待を受けて講話をしたが、我が宗の開敎師が同地方に居る朝鮮僧侶を一々此等の官吏に紹介した所が彼等は面目を施こしたと云ふ風で大に喜び、之れと同時に他の鮮人の鮮僧に対する態度に対象の変化を來たし、普通の鮮人が佛敎を聴く者がある様になつた、之れは一例であるが色々の機會を以て朝鮮僧を扶掖するならば彼等の向上心を啓發し自重するに至り、周囲の社會も軽蔑をしなくなると、牽ひて國家の爲めに間に合ふであらうと思ふ。
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