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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「東派朝鮮布敎拡張」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1910年8月29日
本文
東本願寺の韓國布敎は今日こそ本山が借金整理に追はれて居るために手も足も伸びず往々浄土宗や西本願寺も尻を掻かれて多大の資金と勞力とを投じて得たる布敎の既得權も今ムサべと奪はれて泣顔を下げることは珍しからざる事實なれども、其昔は廣き韓國全體に日本佛敎等と云ふたらば東本願寺より外に一人もなく、釜山、仁川、京城等の繁華の土地の布敎は更らなり、元山から清津の山奥に至るまで布敎使を送り開敎し、各宗か鶴林八道の開敎問題の持上つた時分には既に相応の成績を擧げ居たるものにて今の京城別院が韓國皇帝の勅願所となりたるも又これが爲なり、今回合併と同時に各宗派は何れも實力相応の布敎々線の拡張を行うふべく夫の準備中なるが、東本願寺に於ひては一方に負債整理問題あり他方には明年の遠忌法要ありて目前に急を告ぐるもの非常に多く此他の事業に資金を投ずる餘地を有せずと云へども韓國における現今の地位と云ひ多年積み來れる經○は如何に苦くとも全然知らぬ顔をなさしめざる覺悟もあれば財力上出來得る範囲内に於ひて布敎を拡張せんとて目下協議中なりと云ふ。
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