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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「海外布敎通信」
作者
雑誌名
『日宗新報』
号数等
406
年月日
1891年9月13日
本文
曩きに本紙に掲げて報導したる西京本山妙覺寺貫主旭僧正及ひ随行加藤文敎の二師は本月四日海上無恙朝鮮國釜山港に着し直ちに説敎所に赴かれしに永年無住なりし爲め建物のみは存置せるも今は憐れの有様となり一層感情の堪へ歎きに沈まれぬ設立の際は七十餘の信者ありしも今は僅かに四十有餘名にて只管渡航の日を待暮らせしに僧正の一行來着は恰も闇夜に灯を得たる思ひなり迚信者の喜悦一方なたす此上は尊師護法の思召にて挽回の策を倶共に講せねばならぬと心を励まし其れにつきても随行員なる加藤文敎師には両參年も在留して布敎に盡力致し呉との懇望あり同師も其意を承諾せられたり亦日本國人にして同地へ居留の人數は七千餘名にて寺院は東本願寺の別院と日蓮宗の説敎所あるのみなれは二參年の内には佛祖の加被力と熱心の布敎とに依り必す二參百の信徒は得らるべしと加藤師も専ら布敎に奮励せらるゝ由實に都下私怨の悪醜は宗敎關からざることを悟り漂然酷炎を侵して海外に布敎せらる斯れコソ本宗僧侶の真面目なり好んで事を法庭に争ふか如き凡僧は此記事を見て警悟せよ
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