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記事題目

「清韓布敎と佛敎各派」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1904年6月18日

本文

佛各宗派が目下戦機を利用して韓滿の両地に向つて敎線を敷かんとするは其調査に未既着手の奈何を問はず殆ど同一轍に属す、試みに其面積人口及び將來に於ける施該を茲に記さんに、韓國の面積は八萬方哩にして吾が日本の本道と殆ど同哩を有す、人口は一千萬人にして吾が本道より少きこと二千餘萬人、一方哩に之を割當せば彼は百參十人に過ぎざれども吾は二百九十六人の大多數に及ぶ、故に今後韓國に向つて吾が本道と同様の程度まで人口を稠密せしむるまで殖民せば優に二千餘萬人を移住せしむることが出來る、而て先づ仮に一ヶ年間に二萬人宛移住するとしても一世紀後には數理上のみにても二百萬人の殖民か出來る割合なり、今本願寺が有する信徒の人口數は百萬口なりと云へば朝鮮に於て向後百年後に今の本願寺の如きものが二個を造り得る割合なり

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