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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「独立活躍期の朝鮮寺院 妙心寺派僧侶後援」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1921年8月16日
本文
妙心寺派本所から鮮滿各地の視察に特派された稲葉○山氏は此程歸洛各地の現状について語る。
朝鮮に於ける例の參十本山は従來妙心寺と非常に深い關係があるやうに評判されて居るが實は布敎監督の後藤瑞厳氏が海印寺を応援し神谷宗一氏が普賢寺の顧問になつて居る關係からさういふ事も云はれるのである、海印と普賢の両山は各本山から独立し眼覺ましき運動をやつて居るには感心した、海印寺は山林払下げを受け材木を伐採し約五十萬圓の財團を組織してその利子及び山林毎年の地上利益とで病院、學校、人事相談所を設けようと計畫して居る、僧侶敎育の道も既に講ぜられて居るが之等の事業に總督府は參萬圓の補助を與ふる事になつて居るさうだ。妙香山普賢寺の方は百萬圓以上の財源を有し植林事業を起し滿鉄枕木を供給する交渉中であつた、同寺は常に學生を妙心寺に托し敎育して居るが追々活動するらしい、かくて両山に刺戟された他の朝鮮各山も追々活動すべき氣運が促進されてゐるから内地の宗派が之等を所属にしようとした所でもはや隷属する必要はなくなつた云々。
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