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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「青年僧侶の自覺に在り」
作者
朝鮮總督府内務部長宇佐美勝美
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1916年2月25日
本文
(宇佐美勝夫の誤記カ)
▲昨秋施行したる我が總督府の布敎法や社寺規則に対しては、宗敎家の方から見たら定めて種々の意見もあらう、また不快な点もあるかも知れぬが總督府は決して佛敎家諸君を悪様には取扱ふ考へはない。
そこで第一に自分が朝鮮八道の老幼男女に代りて佛敎僧侶に望むのは、京城釜山仁川などで高枕でお念佛を繰返したり、お題目を唱へたりしたいといふような、そんなさもしい考へを以て玄海を超えて來て下さるなといふことである。・・・・草深い田舎へ飛び込んで貰ひたい。そして日本人が未だ曾て足跡を印せないといふやうな朝鮮人の部落に足を停めて貰ひたいのである。(中略)然らば劈頭第一に田舎に飛込んで何を敎へて貰ひたいかといふに、お念佛やお題目をいの一番にお見舞下るるのは未だ早い、先づ普通の智識を與へて貰ひたい、云ひ換ると小學校先生代理になつて貰ひたい、読み書き算盤から手ほどきして公立諸學校の手の届かぬところを十分に補つて可憐なる鮮人の友となり師となり兄弟となつていく覺悟を望むのである
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