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記事題目

「韓國龍山本願寺出張所開所式」

作者

雑誌名

『敎海一瀾』

号数等

340

年月日

1906年12月8日

本文

韓國龍山本願寺出張所は、豫て建築中の所、十一月上旬落成しかば、同十七日を以て開所式を擧行せり、今其の大要を記すれば、先づ同月十五日準備委員として加藤顧問、俵書記官、菊池謙譲、山口商法會議所、和田同議長、田口理事官書記、野元龍山居留民總代等の諸氏會合して協會を開き、統監府、韓國諸大臣、軍司令部等より居留民側内外の有志信徒に參百餘通の案内状を發し、昼夜兼行内外の設備に多忙を極めたり。(中略)
式の順序は先つ大谷開敎總監の案内にて伊藤統監以下來賓一同佛室に入りて、厳粛に式に參列し、終りて玄關前庭園に於て紀念の撮影をなし、次で奏樂と共に食堂に入る、席定まりて大谷開敎總監は左の挨拶を述べられたり、
本日當所の開所式に當り、伊藤統監を始め、各大臣等の臨場せられたるは、本願寺の深く光栄とする所、韓國布敎の事は數年來の計畫なりしも、日露戦役等の爲め、今日に及び漸く仮出張所を開くに至る。今後各位の助力により効果を収むるを得は幸甚なり云々
次で伊藤統監は來賓を代表して祝辞を述べられたり、其の大意左の如し
韓國各大臣以下諸君、本日は本願寺の開所式を擧行せらるゝに付き招待を蒙りたるは感謝の至なり、西本願寺を始め、韓國の布敎を圖るは今日各宗の現況なるか、宗敎の本義を韓國民に宣布し、以て誘導の實を擧けんとする至極結構な事なり、何れの宗派を問はず敎義宣布衆生済度を圖るの外日本 皇帝陛下の韓國誘導の聖慮を服膺し、布敎上に於ても韓國民をして怨嗟の声なからしめ、 聖旨を貫徹することに努められんことを望み、且つまた日韓両國民をして益々融和し、親密ならしめんことに努め、極めて公平の思想にて愛情なきよう盡力せられんことを望む斯くて一面には韓國の發展を導き、一面には 陛下の恩澤を韓國に光被せしむるの効果を収められんこと希望の至なり、これ統監の位置として、切に一般布敎者に対して望まざるを得ざる所なり、希くば各布敎者、この主旨を體して益布敎の發達を計られたし云云(以下略)

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