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植民地朝鮮の日本人宗教者
寺院創立許可願ニ関スル件(真宗本願寺派本明時)Ⅱ-㊳0191~0222
最初公開日:2022年2月25日
最終更新日:2024年5月3日
0191
寺院創立許可願ニ関スル件
指令案
慶尚南道釜山府瀛仙町二千二十七番地
大洋琢磨
0192
外四十三名
昭和四年六月十八日附願真宗本願寺派
本明時創立ノ件許可ス
年 月 日
朝鮮総督
0193
理由
本件ハ慶尚南道釜山府(牧島)瀛仙町二千
二十七番地所在真宗本願寺派ノ布教所
ヲ基礎トシテ本明時ナル寺院ヲ創立セ
ントスルモノニシテ右布教所ハ大正六年二月
設立シ爾来都市ノ発展ニ伴ヒ檀信徒
0194
ノ数モ遂年増加スルト共ニ諸般ノ設備モ改
善セラレ今ヤ寺院トシテノ面目ヲ保持ス
ルニ十分ナルニ至リタルヲ以テ之ヲ寺院ニ引直シ其ノ基
礎ヲ確立スル必要ヲ認メタルモノナリ然ル
ニ釜山府内ニハ曩ニ創立ヲ許可シタル同宗
派ニ属スル本昭寺ナル寺院アルモ元来本地
0195
ハ同府内牧島ノ中央ニ位シ現在人口一萬三
千餘人ヲ有シ漁港並ニ商工地帯トシテ発
展シツツアル市街地ナルニ拘ラス未ダ一般
信仰ニ副フベキ寺院ナク而モ既設ノ寺院
トハ相当ノ距離アリ且本地ハ渡船ニ依ラサ
ルベカラザル所謂嶋嶼地域ニ対スル特殊
0196
ノ関係ニアルガ為従来自ラ信仰団体ヲ
異ニスルヲ以テ別ニ同地ニ一寺院ノ創立ハ
事情已ムヲ得サルモノト認メラル仍テ之ヲ
寺院ノ創立ヲ許サルル標準ニ照シ審査ス
ルニ別紙調査要領ノ通何等不都合ノ廉
ナク堂宇ハ既ニ改築済ニ付創立費ヲ要セ
0197
ス維持費ハ檀信徒ノ布施其ノ他ニ依リ
年額千九百餘円ハ確実ト認メ他ニ別
段ノ支障ナキヲ以テ前記指令案ノ通御
許可相成可然哉仰高裁
(参照)
釜山府瀛仙町(牧島)内既設寺院
新義真言宗智山派弘法寺一箇寺
0198
官報掲載案
寺院創立許可 慶尚南道釜山府
瀛仙町二千二十七番地ニ真宗本願寺派
本明時創立ノ件 月 日許可セリ
0199
参照
神社寺院創立許可ニ関スル標準
神社寺院ノ創立ハ可成之ヲ限定シ濫設ノ弊
ナキヲ期セサルへカラス内地ニ於テハ徃年濫設ノ
結果近時其ノ弊ニ堪ヘスシテ之カ併合整理
ヲ断行シタル例モアリ朝鮮ニ於テハ創始ノ際
ニ於テ予メ此ノ点ニ注意シ以テ濫設ノ弊ヲ防カムト
ス而シテ内地ニ於テモ神社寺院創立許可ニ関スル
内規ヲ制定セリト雖モ内地ト朝鮮トハ大ニ其ノ事
情ヲ異ニセルヲ以テ内地ト同一ノ標準ニ依リ難キ
ハ勿論朝鮮ニ於テモ地方ニ依リ事情相同シカラ
サルカ故ニ今俄ニ許可標準ヲ確立スルコトハ困難
ナリ然レトモ之カ許可ニ関シ一定ノ標準ナキコトハ
取扱上統一ヲ缺クルノミナラス遂ニ濫設ノ弊ニ陥ル
ナキヲ保セサルヲ以テ内地ノ例ヲモ配酌シ左記ノ
通大体ノ標準ヲ定メムトス左モ地方ノ状況其ノ
他ノ事情ニ依リ該標準ニ依リ難キ場合ニ於テ
ハ特別ニ之ヲ詮議シ又現ニ存在セル神社寺院
ハ必スシモ該標準ノ各号ニ適合セサルモノト雖モ
維持方法ノ確実ナルモノニ限リ一定ノ条件ヲ附
シテ之ヲ許可セムトス
0200
神社寺院創立許可標準
区域
神社/
寺院
同宗派ノモノハ一府面ニ
二カ所ヲ許ササルハ勿論
人口少キ地方ニハ異宗
派ト雖モ妄リニ之ヲ
許ササルコト、
共通/
境内地
神社/
寺院
坪数三百坪以上ナルコト
共通
借地ニアラサルコト但シ官有地ナル
トキハ此ノ限リニ非ラス
建物
神社/
寺院
本堂庫裏各二十五坪以上
ナルコト但シ本堂庫裏
兼用ノ建物ナルトキハ四
十坪以上ニテ差支ナシ
共通
借家ニアラサルコト
維持方法
神社/
寺院
基本財産ヨリ供スル収入及其
他ノ確実ナル収入五百円以上
ナルコト
崇敬者又ハ檀信徒
神社/
寺院
二百戸以上ナルコト
0201
寺院創立願ニ対スル調査要領
檀信徒トシテ連署ノ人員(三十人以上)
四十四人
審査上ノ意見 可
所属宗派管長ノ承認
有リ
審査上ノ意見 可
創立事由
大正六年二月布教所ヲ設置シ
布教宣布ニ従事シ来リタルトコ
ロ爾来牧ノ島地方ノ発展ニ伴
ヒ檀信徒ノ数モ著シク増加
シ将来益教義宣伝ヲ拡メ
且一般信仰上並ニ法要執行
上今回寺院ヲ創立ノ必
要アルニ至ル
審査上ノ意見
寺院創立許可スベキ
モノト認ム
寺院称号
本明時
審査上ノ意見 可
創立地名
慶尚南道釜山府瀛仙
町西部二、〇二七番地
審査上ノ意見 可
本尊
阿弥陀仏
審査上ノ意見 可
0202
所属宗派ノ名称
真宗本願寺派
審査上ノ意見 可
建物ノ坪数(本堂庫裏兼用ノトキハ四十坪以上)
本堂坪数(二十五坪以上) 六五坪九〇
審査上ノ意見 適
庫裏坪数(二十五坪以上) 三〇、七五
審査上ノ意見 適
右建物所有名義
大洋琢磨
審査上ノ意見
寺院創立許可ノ上ハ
寺院有ニ名義変更
スルモノナリ
附属建物
納骨堂 四坪〇〇
幼稚園舎 二二、二五
境内地坪数(三百坪以上)
三二〇坪〇〇
審査上ノ意見 適
所有者名義
大洋琢磨
審査上ノ意見
寺院創立許可ノ上ハ
寺院有ニ名義変更
スルモノナリ
図面 正面、側面、平面ノ各図面ヲ提出ス
0203
本堂庫裏ノ図面(平面図、正面図、縦断面図) 有リ
審査上ノ意見 可
附属建物ノ図面(平面図) 有リ
審査上ノ意見 可
境内地図面(平面図) 有リ
審査上ノ意見 可
寺院周囲ノ状況(地勢、交通、家屋配置ノ状況等)
東ハ街路南北ニ通シ
西ハ民家櫛比ス
審査上ノ意見 可
創立費及其ノ支弁方法
昭和二年十二月本堂並ニ庫裏
附属建物モ建築完成シ
且境内地モ既ニ買収済ナレ
ハ特ニ創立費ヲ要セス
審査上ノ意見 可
維持方法(確実ナル収入五百円以上)
年収金一、九四五、七五〇
内訳
金六五、四五〇 寶銭
布施等
金三一、五〇〇
金一、三八七、一〇〇
金四六一、七二〇
審査上ノ意見 可
檀信徒員数(二百戸以上)
檀徒 二七三戸
信徒 二一戸
審査上ノ意見 可
0204
学第八五八号
昭和四年十二月六日
慶尚南道知事 印
朝鮮総督殿
寺院創立許可願ニ関スル件
標記ノ件ニ関シ管下釜山府瀛仙町大洋琢磨外四十三名ヨリ別紙ノ通願
出アリ調査スルニ右ハ従来ノ同派絶影島布教所ヲ寺院ニ引直サントス
ルモノニシテ該布教所ハ位置形勝ナル地ヲ占メ建物境内地等何レモ寺
院トシテ辱シラス檀信徒数亦相当ニシテ現在基本金ヲ有セサルモ従
来ノ布施物ノ実際収入額ニ依リテ見レハ寺院トシテノ経営維持支障無之様
認メラル尚釜山府内ニハ他ニ真宗本願寺派ニ属スル寺院本照寺(府内
富平町二丁目所在)アルモ新ニ創立セントスルモノハ位置絶影島ニシ
テ等シク府内ナルモ該島ハ釜山港内ノ島嶼ナルヲ以テ相当ノ距離アリ
又絶影島ニハ新義真言宗智山派ニ属スル寺院弘法寺アルモ同島ハ戸数
三千人口一萬三千将来益々発展スベキ商工漁業地ナルヲ以テ是亦同島
0205
ニ二寺ノ存置支障無之モノト認メラルルニ付特ニ御許可相成様致度右
副申ス
0206
寺院創立願
今般別紙ノ通リ釜山府瀛仙町西部二〇二七番地ニ
本明時創立致シ度管長ノ添書相添ヘ出願
致シ候也
昭和四年八月二日
真宗本願寺派朝鮮布教管理者斯波随性 印
朝鮮総督山梨半造殿
0207
別紙之通御管内慶尚南道釜山府瀛仙町西部真宗本願寺派本
明寺々院創立ノ件願出度旨申
出候ニ付御許可相成度此段致添書候也
昭和四年七月二十六日
真宗本願寺派管長本山本照寺住職伯爵大谷光照
保摂会長 大谷光照 印
朝鮮総督 山梨半造殿
0208
寺院創立願
今般寺院ヲ創立致度候ニ付御許可被成下度別紙
管長ノ承認書相添ヘ左記事項ヲ具シ此段及申請候
也
昭和四年六月十八日
釜山府瀛仙町二〇二七番地
大洋琢磨 印
明治二四年八月二五日生
釜山府西町二丁目一九番地
東松太郎 印
明治七年一一月一五日生
釜山府瀛仙町一九九七番地
中村久藏 印
慶応二年六月一二日生
釜山府瀛仙町二〇二五番地
中村亀吉 印
慶応二年一〇月六日生
釜山府瀛仙町一九八九番地
田中萬太郎 印
文久元年六月一一日生
釜山府瀛仙町一九八九番地
田中清 印
明治二一年一月三〇日生
釜山府瀛仙町二〇〇八番地
0209
中村力太郎 印
明治九年二月二五日生
釜山府瀛仙町一九八六番地
江川■太郎 印
明治一六年一一月二八日生
釜山府瀛仙町二〇一〇番地
土井千代松 印
文久元年一月二一日生
釜山府瀛仙町二〇〇八番地
福岡久五郎 印
安政四年一〇月七日生
釜山府瀛仙町一九八六番地
玉木坂太郎 印
明治六年一月七日生
釜山府瀛仙町一九八六番地
田中新太郎 印
文久元年一一月二日生
釜山府瀛仙町一九八二番地
沖本国松 印
明治一〇年一二月一〇日生
釜山府瀛仙町一九八〇番地
岡野久松 印
明治二年六月一三日生
釜山府瀛仙町二〇一五番地
0210
植村随 印
明治三四年三月一日生
釜山府瀛仙町一九八二番地
山■亀作 印
明治七年一月二四日生
釜山府瀛仙町一九七七番地
山■榮次郎 印
明治一六年五月一一日生
釜山府瀛仙町一九七二番地
土石利吉 印
明治九年一一月一一日生
釜山府瀛仙町一九七四番地
風呂中■久■ 印
明治三六年一一月一日生
釜山府瀛仙町一九七二番地
森■松助 印
明治三年三月五日生
釜山府瀛仙町一九七二番地
木下重松 印
明治二二年一〇月二〇日生
釜山府瀛仙町一九七二番地
0211
山崎孫八 印
明治一九年一月二三日生
釜山府瀛仙町一九七二番地
山崎重松 印
安政四年一一月二〇日生
釜山府瀛仙町一九七一番地
村田百令作 印
明治四年四月一九日生
釜山府瀛仙町一九七〇番地
中村■平 印
明治一九年一一月五日生
釜山府瀛仙町二〇二三番地
川口孫吉 印
明治一一年六月一六日生
釜山府瀛仙町二〇四八番地
吉田通一 印
明治二一年七月一二日生
釜山府瀛仙町二〇二八番地
亀川関松 印
明治一三年四月一日生
釜山府瀛仙町二〇二六番地
岡野孫市 印
明治六年一一月二八日生
釜山府瀛仙町一一六三番地
0212
岡本虎雄 印
明治二二年二月二二日生
釜山府瀛仙町一二六〇番地ノ一四
高砂繁郎 印
明治三七年八月五日生
釜山府瀛仙町一二六二番地
高雄佐武郎 印
明治一九年八月二八日生
釜山府瀛仙町一三三二番地
片岡■吉 印
明治一一年一一月二七日生
釜山府瀛仙町一三三三番地
浜野■治 印
明治一一年二月五日生
釜山府瀛仙町一三三四番地
大森青治 印
明治一五年二月二日生
釜山府瀛仙町一三三三番地
川辺青治 印
明治一五年六月九日生
釜山府瀛仙町一四九五番地
西村■次郎 印
嘉永四年一二月八日生
釜山府瀛仙町一五五七番地二
0213
植山清之亮 印
明治一〇年三月七日生
釜山府瀛仙町一六三五番地
松岡松次郎 印
明治一三年四月二五日生
釜山府瀛仙町一五八〇番地
岡野■太郎 印
明治一九年八月四日生
釜山府瀛仙町一九三八番地
綱村政義 印
明治四〇年四月一日生
釜山府瀛仙町一七五七番地
浜崎■次郎 印
明治二一年四月二一日生
釜山府瀛仙町一七六一番地
伊藤忠 印
明治四一年五月二五日生
朝鮮総督山梨半造殿
0214
一、創立ノ事由
大正六年二月本派本願寺絶影島布教所ヲ設置シ爾来布教
宣布ニ従事シ来リ候処当島ハ年々発展シ人口ノ増加ニ
従ヒ檀信徒ノ数ヲ増シ尚ホ続々増加ノ現状ナルヲ以テ信仰上
並ヒニ法要執行上寺院設立ノ必要アリ且ツ将来益々教
義宣伝ニ便益ヲ計ランガ為ナリ。
二、寺院ノ称号
本明時(ホンミヤウジ)
三、創立地名
慶尚南道釜山府(牧島)瀛仙町西部二〇二七番地
備考、当島ハ前絶影島ト呼ビシガ現今ハ牧島ト通称ス。
四、本尊並ニ所属宗派ノ名称
(イ)本尊 阿弥陀仏
(ロ)所属宗派 真宗本願寺派
五、建物境内地ノ坪数
(イ)建物総坪数 壱百弐拾弐坪九合
内訳
本堂 六拾五坪九合
庫裏 参拾坪七合五勺
納骨堂 四坪
府属幼稚園舎 弐拾弐坪弐合五勺
右所有者 慶尚南道釜山府瀛仙町西部二〇二七番地
本派本願寺絶影島布教所内大洋琢磨
(ロ)境内地ノ坪数 参百弐拾弐坪
0215
右所有者 慶尚南道釜山府瀛仙町西部二〇二七番地
本派本願寺絶影島布教所内大洋琢磨
六、境内地周囲ノ状況
東ハ街路南北ニ通シ 西ハ民家櫛比ス
南ハ街路東南ニ通シ 北ハ民家櫛比ス
七、創立費及其支弁方法
昭和二年十二月本堂並ニ庫裏附属建物モ整ヒ且ツ境
内地モ既ニ買収済ミニ依リ創立費ヲ要セス。
八、維持ノ方法
一金壱千九百四拾五円七拾五銭也 歳入高
内訳
一金六拾五円四拾四拾五銭也 本堂寶銭
一金参拾壱円五拾銭也 仏前懇志※
一金壱千参百八拾七円拾銭也 応請読経懇志※
一金四百六拾壱円七拾銭也 布教法会懇志
以上
一金壱千九百四拾五円七拾五銭也 総支出高
内訳
一金四拾円也 仏前経常※費
一金拾八円也 教務諸費
一金参百六拾円也 住職年報酬
一金参百拾弐円也 補助員以下年報酬
一金七拾八円也 電話料
一金七拾弐円也 電燈料※
※「懇志」「応請読経懇志」「経常」「電燈」:竹永三男氏よりご教示頂きました。感謝申し上げます。
0216
一金六百0四円0参銭也 雑支出
一金参百六拾弐円六拾五銭也 布教法会費
一金九拾九円0七銭也 予備費
以上
九、檀信徒数
檀徒数 弐百七拾参戸
信徒数 弐拾壱戸
合計弐百九拾四戸
添付図面 別紙ノ通リ
内訳
本堂庫裏正面図 壱枚
本堂断面図 壱枚
庫裏断面図 壱枚
配置図 壱枚
境内地周囲状況図 壱枚
以上
0217
図面
0218
誓約書
釜山府瀛仙町二〇二七番地垈参百弐拾坪
及当地上物ハ拙者所有ナルモ本明寺創立
許可ノ暁ニハ直チニ当寺院所有ニ名義
変更可致コトヲ誓約ス
昭和四年六月十八日
釜山府瀛仙町二〇二七番地
本派本願寺絶影島布教所
大洋琢磨 印
0219~0222
図面
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