真言宗醍醐派修験道布教管理者設置ニ関スル件変更認可申請ノ件Ⅱ-㊱0259~0269

0259

真言宗醍醐派修験道布教管

理者設置ニ関スル件変更認可

申請ノ件

指令案


0260

真言宗醍醐派管長

平之亮禅

大正拾弐年拾壱月弐拾日附願真

言宗醍醐派修験道布教管理者

設置ニ関スル件変更ノ件認可ス

年  月  日

朝鮮総督

(添付書類アリ)


0261

起案ノ理由

本件真言宗醍醐派修験道布教管理

者設置ニ関スル件変更認可申請

ニ付審査スルニ大正五年九月二十八日附

内一第一二七八号指令ヲ以テ醍醐派

恵印部布教管理者設置ニ関スル

件認可ヲ得テ以来開教現今ニ至レ

ルモノナルガ当時恵印部布教師ニシテ

朝鮮駐在者中ニ布教管理者トシテ適

任者ナカリシヲ以テ真言宗各派聯合


0262

布教管理者澤光範ニ対シ該部布

教管理者ヲ嘱託シタルモノニシテ当

時ノ願書ニ其旨追申シアリ認可指

令ノ際内務部長官ヨリ真言宗醍醐

派管長宛

本年九月貴宗派恵印部ニ布教管

理者設置ノ件並ニ澤光範ヲ布教管

理者ニ選定ノ件申請ニ対シ本日

認可相成候処右澤光範ハ恵印

部ノ行解ニ関シ経歴ナキモノナレ


0263

トモ追申ノ旨趣ヲ諒シ認可相成

候儀ニ付追テ相当ノ経歴アル者

ヲ簡派シ管理セシムル様致度及

通牒候也

通牒シアリシモノニシテ今回該部内ノ

布教管理者名艸登善ヲ選定シタ

ルニ依リ規則第三條ニ基キ本件変

更認可申請ニ及ヒタルモノナルカ「恵

印部」ノ名称ヲ「修験道」ニ変更並其ノ

制規及附則ノ改正ニ付大正八年拾弐月弐拾六


0264

日文部大臣ノ認可ヲ得タル結果本

件布教管理者設置ニ関シ変更ヲ

要スル條規ノ改定ニ付併セテ認可申

請ニ及ヒタルモノニ有之別段支障ノ点

無之モノニ付御認可々然キモノト思料

右起案仰高裁候


0265

大正拾弐年拾壱月弐拾日

真言宗醍醐派管長

大僧正平之亮禅

朝鮮総督男爵斎藤実殿

布教管理者設置ニ関スル件

変更認可申請

本派恵印部布教管理者設置ニ関スル

件大正五年九月二十八日附内一第一二七八

号ヲ以テ御認可相成候処右事項中

左記ノ通リ変更致度候間御認可相

成度申請候也

一 宗教及其宗派ノ名称

真言宗醍醐派『恵印部』トアルヲ

『修験道』ト改ム

二 宗制

『恵印部制規同附則』トアルヲ『修験道

制規同附則』ト改ム


0266

別冊ヲ添付ス

右制規第十條中『各府県』トアルヲ

『京畿道管内便宜ノ地』ト改メ『地

方』トアルヲ『朝鮮』ト改ム

附則第一号宗務規則中第三條ヲ

左ノ如ク改ム

宗務支庁ニ管理一名理事若干名

ヲ置ク

朝鮮ニ於ケル宗務支庁管理ハ管

長ニ於テ理事中ヨリ一名ヲ簡ミ朝

鮮総督ノ認可ヲ得テ就職スルモノトス

朝鮮ニ於ケル宗務支庁ニハ管長ノ特

選ヲ以テ顧問一名ヲ置キ宗務ニ参

与セスム

三 布教ノ方法

朝鮮総督府令ヲ以テ定メラレタル布

教規則及修験道制規附則第三

号布教規則ニ依リ之ヲ行フ

五(ママ)布教者監督ノ方法

修験道ニ属スル醍醐分教会所ハ布


0267

教管理者ニ於テ時々巡視シ諸帳簿

ヲ検閲シ布教者ノ行持ヲ監督ス

管長ハ随時巡閲員ヲ派出シ朝鮮

ニ於ケル宗務ヲ視察シ其ノ殿最ヲ

審詳ス

六 布教管理事務所ノ位置

京畿道廣州郡中垈面石村里一三三

真言宗醍醐派修験道宗務支庁予定

七 布教管理者ノ氏名及其之履歴書

真言宗醍醐派修験道

権少僧都 名艸登善

履歴書別紙添付

以上

備考、別冊添付ノ修験道制規同附則ハ大正

八年拾弐月弐拾六日文部大臣ノ認可ヲ得

タルモノニ有之候


0268

履歴書

原籍  広島市鉄砲町百壱番地ノ二

現住  京城府大平通壱丁目二十九番地

権少僧都 名艸登善

明治二十六年五月十日生

学業  大正二年三月十一日広島県立広島中学卒業

大正四年四月十日東京私立早稲田大学商科入学

大正六年四月十五日東京私立早稲田大学工科転学

大正八年六月十日東京私立早稲田大学工科退学

大正八年七月三日真言宗大本山三寶院門跡大僧正

天野快道師ノ室ニ入リ真言宗醍醐派修験道

ノ諸経並ニ教義ヲ習得ス

度牒  大正八年八月十日大本山三寶院道場ニ於テ修験道

ノ式ニ依リ戒師天野大僧正ヨリ得度ス

加行  大正八年八月十一日ヨリ修験道七檀法加行開白

大正八年十二月十七日成満

灌頂  大正九年三月二十七日大本山三寶院ニ於テ恵印灌頂

入檀ス

現級  大正十年十二月三日現級権少僧都拝命

兵役  陸軍輜重兵補充兵

賞罰  ナシ

右ノ通リ相違無之候也


0269

大正十二年十一月十五日

右本人

権少僧都 名艸登善