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植民地朝鮮の日本人宗教者
木浦松島神社跡周辺
全羅南道木浦市東明洞
松島神社階段跡が残っています。
撮影日:2022年7月8日~9日
最初公開日:2022年7月15日
最終更新日:2024年9月30日
東明洞七七階段
東明洞七七階段
東明洞七七階段
松島神社跡地
松島マウル(村)の歴史と由来
松島マウルは開港当時、松の木が多い島、松島だった。木浦の東側に位置していたため、「東島」とも呼ばれた。かつてフランスが領事館の用地として検討し、日本も目をつけていた。日本統治時代には松島神社が建てられ、現在も神社の建物の一部や階段(通称「77階段」)の跡が残っている。解放後は無許可の建築物が乱立し、国有地がオ○ジュン、オ○イルに払い下げられて住民に売られた。木浦駅方面に海水が流れ込む船道があり、農民たちは堆肥用の糞尿を得るためにここに集まり、「糞島」と呼ばれた。また、近くの島々から燃料を運んで薪の市場が形成された。三鶴島が埋め立てられてからは、船着き場周辺の人々の生活の場であり、数々の悲喜を抱えた場所となった。(木浦文化院提供)
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