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記事題目

「京城みやげ」

作者

曹洞宗朝鮮布敎總監北野玄峰談

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1912年7月15日

本文

△朝鮮の布敎に就ては各宗派共餘程力を入れて居るが、中にも東西両本願寺と浄土宗とは頗る熱心に力を盡して居る、曹洞宗の方も漸次發展に向ふて居るが、鮮人布敎には非常に骨が折れて○○○は○○である、各宗派共に多くは日本人相手に布敎をやつて居るので鮮人布敎は餘り進んで居ない、従つて其効果も未だ少ない訳ぢや。
△昨年衲が聯れて行つた曹洞宗留學生十名は、其後京城にて朝鮮語の研究をさせて居たが、鮮語は各道に依つて悉く異つて居るので、何れにも通ずることはなかへ六ヶしい、そこで先月から實地に就て布敎をやらすことにして悉く布敎師に任じ各地に派遣した、派遣先は何れも日本人の居る處で、先づ日本人を布敎をなさしめ、漸次鮮人にも及ぼす積りぢや、併しまた參五年は六ヶしからう。
△鮮人は理想はなく、信仰は解らぬ、併し佛の有り難いことは知つて居る者がある、浄土宗開敎院に行つて見たが鮮人が來て佛を禮拝するのに手を擧げていと熱心に禮拝して居る、其姿はなかなか好い、また親の身内のものでも死ねば四十九日目には寺に詣でゝ大供養をする、それは盛んにやる、中には參十圓も五十圓も寺に上げて供養する有名なる普賢寺の地中の寺に永く居つた衲の宗門の僧侶に依ると普賢寺などには死人があつて其の四十九日まで二週間も參週間も米を携へて來て泊り込む者があつて、和尚に供養し霊を祀るといふ風ぢやそうな。(以下略)

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