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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「佛敎朝鮮協會と有吉總監の接見」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1922年12月3日
本文
佛敎朝鮮協會の主催で去月二十九日午後東京神田中央佛敎會館で東上中の朝鮮總督府有吉政務總監を招待し接見茶話會を催した、總督府出張所員、堀内、宮岡各中將、安藤代議士、湯澤豊山派宗務長、長谷川浄土宗敎學部長、本多築地本願寺輪番、塩出日蓮宗敎學部長を始め會員參十餘名出席、理事長椎尾博士から開會の挨拶を兼ねて協會の趣旨經過及鮮地に於ける最近の敎化状態に關する感想を述べ有吉總監は
併合當時朝鮮に在任し十參年目で今回赴任して感じた推移について朝鮮統治の前途に対し悲觀もしないと同時に固より樂觀も出來ぬ、朝鮮に対する一般の注意は單純な嫌ひがあると冒頭し敎育上の施政としては内鮮共學の方針を執り近く高等學校、大學を設置すべく声明し目下其の準備中なるがこれらの高等敎育機關完成後中外の期待に背かぬやう鮮地の文化を向上し思想の趨嚮を誤らぬやうにしたいと苦心して居る而して敎化を完ふするには敎育と相俟つて健全なる宗敎の啓發に俟たねばならぬことを確信して居ると朝鮮に於ける各宗敎に対する感想を語り、日本佛敎は參韓を經て渡來した深い因縁があるから鮮民の思想善導に対して今後一層の努力を希望す云々
と演説し宮岡、堀内両氏も起ちて朝鮮當局の苦心を諒とするが政治や軍隊の力で統治を期せんとする態度を改め宗敎に心を用ゐ精神的に指導する方針を執つて欲しいと希望し、高瀬、中西二氏からも所感談出で總監は一々これに応答し打ち寛ろいだ會合であつた。
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