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記事題目

「侮辱された鮮僧 暗涙を呑んで語る」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1917年6月23日

本文

一昨日二十一日強て記者の方に面會が願ひたいとて朝鮮大聖敎會敎務主監徐鳳仁と認めた名刺を携へ訪れた鮮僧があつた、浴衣の上に袴を穿つて全體に弾力の抜けた日影で育つた木のような細長い身體を応接室の椅子に凭せどこか昂奮した面もちで語る。
私は朝鮮京城本派本願寺大聖敎會の一員で今回真宗の得度式を得たく去る二十九日入洛したものでありますが、本月十七日の御社發行の紙上と云ひつゝ力なき○○に中外日報を取出し第二面大谷光演法主の「滿鮮巡敎所感」を示し覺束なき日本語を以て、私が特に申上げたいと云ふのは此記事ですと △彼は憤慨措く能く能はざるものゝ如く先づ唾を呑込み眼を閉ぢ暫時暗○を續けて居たが稍あつて口を開き此記事に依つて光演法主は吾が鮮人を指して「彼等に安心立命と云ふことは駄目だ」として一言の下に鮮人は宗敎的安心を得ることの出來ないものとして屠りました、「彼等を敎化するには大和民族の血を入れて而して後に敎を説かねばならぬ」と
光演法主が曩に滿鮮巡敎の際は私共も目下四千の會員を有する大聖敎會の一員として △法主の送迎に浴したが、その際法主は吾々に対して敎義伝道については互に相提携して霊界の爲に盡さねばならぬと激励されました言葉は尚耳朶に新なる處であります、然るに巡敎を終へて歸山されますると全く前言に相反し鮮人は到底信仰獲得と縁なき者として一言の下に屠り去らるゝは洵に法主の言とも思はず、甚だ不謹慎不穏當なことであります
鮮人にも古來かゝる△何物を以てしも抜くことの出來ない堅固な安心を持して居る者があるのです、要するに布敎其宜敷を得ば鮮人は決して生命を以て安心に○ふるに辞さない不抜の生霊を以て居るのであります、現に吾々が一員たる本派別院松原含藏氏の組織にかゝる本派大聖敎會は今日約四千名の信者を有し着々拡大されつゝあるのであります、かゝる事情をも精細に究めずして今や、△併合の位置にあり事實上同胞である鮮人に対し早計にも日本の代表的宗門の法主として唇○涸かざるに前言を喰むのみならず、漫然としてかゝる言をされたる其意中果して那辺に存するか判斷に苦む處であります、私共鮮人は法主の彼の一言により霊的關係を斷たれたものとして悲むのみならず今や大日本帝國の臣民としての吾々鮮人を侮辱し愚弄したるものとして黙止するに忍びません、少しく大きく考ふれば國家の將來に關する大問題であります云々と拙なき弁ながらも悲憤に堪へざるものゝ如く語り慨然として去つた。

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