植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「内鮮敎化の要諦(佛敎は朝鮮固有の唯一宗敎である)」
作者
朝鮮佛敎大會副會長 李元錫氏談
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1924年3月4日
本文
由來朝鮮の文敎は歴史を通じて儒佛相交叉して今日に至つたもので儒敎の盛んな所は佛敎衰へ佛敎盛んなれば儒敎は衰へた決して儒敎ばかりが全盛を續けて來たものではない、今日は儒敎が衰つて佛敎が盛行すべき好時節に當面してゐる、それは朝鮮人が儒敎の倫理道徳だけでなくは滿足する事が出來なくなつて世界的宗敎によらんとする傾向を帶んで來たからである、ソコが開敎に全力を注いでゐる基督敎の案外容易に行はるゝ所以であるが、自分の佛敎信仰は單なる個人の問題として一般朝鮮人の立場から今後如何なる宗敎による事が將來鮮人の福祉を增進する所以かと考へると第一我々は成るべく朝鮮固有の宗敎によりたい、而して東洋人としての誇を保つてゆき度い、ソコデ儒敎にあきたらない我我は當然佛敎に拠らねばならぬ、佛敎を正しく信行する事に依てこの落ちつかない民心をひきしめてゆく事は充分出來ると信ずる、又真の内鮮融和を期するならば、官民共に佛敎を布敎する事にあると信ずる
朝鮮の寺院は參十本山に九百の末寺があるが何れも山林佛敎で個人的修業の道場にはならないこの故にわが大會では内鮮官民乃至僧俗が協力一致して朝鮮固有の唯一宗敎たる佛敎の興隆を期すべく布敎使の養成、敎會の分布を策し、且つ聯絡機關としては通信、集會等を盛んにし依て以て民心の安定を期せんとしてゐるのである現在の朝鮮は官吏といふ厳父はあつても慈母となるべきものが欠けてゐる、殊に朝鮮は古來貧富の懸隔甚しく上層と下層に二分された社會状態で中産階級といふ者がないと云つてもよいから猶更ら慈母を俟つの情も内鮮僧俗ひとしく佛敎信條に依て相提携したる以上は不幸なる鮮人の爲に慈母となつて民意の暢達、内鮮の融和をはかり實現の社會より更に一歩永遠の世界へ眼を注がしめ度いと念願してゐる、内鮮佛敎徒は官民と僧俗を論ぜず相提携して敎化の宣揚に努むる事により内鮮とも同時に救はるゝのである、