植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「内鮮融和と日滿親善を目し 東亞佛敎協和會生る 日比谷公會堂で華々しく發會」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1932年12月25日
本文
朝鮮佛敎普及會では現下の非常時に際し思想國難を救ひ、自力更生を行ひ内鮮の融和と日滿親善を圖るため今回左記陣容の下に東亞佛敎協和會と改名し去る二十參日正午より東京の日比谷公會堂に於て之が發會式に兼ねて大講演會を開催する所があつたが、歳末にも拘らず相當の入りを示し、特に永井拓相は高山書記官を通して別項の如き祝辞を述べ今後を期待する所あつた。
副總裁床次竹二郎、水野錬太郎△常務顧問大迫尚道△會長李允用、副會長李元錫△財務部長亀岡豊二、講演部長加藤咄堂
永井拓相の祝辞
本日茲に東亞佛敎協和會發會の盛儀を擧行せらるゝに當り素懐の一端を披瀝し得るは餘の欣快とする所なり
惟ふに帝國の丕基を愈々鞏うし國家永遠の隆栄を確保するの途は産業貿易の發展により經済的國力の充實伸長を期するに在ると共に國民精神の作興に依り宇内に冠絶する我が國體の精華の發揚を圖るに在ること疑を容れず而して國民精神作興の方策一にして止まざるべしと雖現下の状勢に鑑み我國社會各階級を通ずる質實真摯なる思想の涵養帝國全領域に渉る融和結合の觀念の強化を以て急務と信ずるものにして殊に帝國内外の事態に照し内鮮融和日滿親善の促進は必要最も切實なるものあるを認むこの秋に當り佛敎界の先覺諸氏が時局に惟みる所あり決然起つて本會を興し躬を街頭に出でゝ國民精神振起の任に當らんとするは誠に適切有意義の美擧にしてその世道人心に裨益し邦家の隆昌に貢献する所蓋し甚大なるものあるを信じて疑はず希くば斯敎の真○を宣揚し人類愛の大精神を發揮して融和敎化の業に盡瘁し以て東亞民族の康寧と慶福との增進に寄與せられんことを
一言以て祝辞とす
昭和七年十二月二十參日
拓務大臣 永井柳太郎