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記事題目

「吾が同胞の自覺と新同朋の諒解に訴ふ」

作者

元山別院上野輪番

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1919年3月28日

本文

朝鮮元山よりの通信に依れば去る一日元山里鮮人部落の市日に勃發したる□□運動は各所に檀を設け螺集せる鮮人を相手に反逆者參十參人の署名せる□□宣言書を配布し激越なる演説を無して無智なる彼等を煽動したるより忽ち火の手を擧げたるが、彼等の背後に 
○基督敎徒の潜在 せることは覆ふべからざる事實にしてその彼等をして今日に到らしめたるもの全く敎會を取巻く雰囲氣が悪性のデモクラシーを注入するに適當なるが上に彼等設立の學校が歴史敎授に籍口にしてポーランドの独立を説きチェックの復興を叙述せる等彼等の
○盲動を暗に奨励 し甘々漁夫の利を占めんとしたるより始まれるものにして總督府も這裡の消息を全然感知せざりしにはあらざるも飽くまで平穏を保たんとして今次の不覺を取りたる由なるが翻つて吾同胞の新同胞に対する態度を考察する時は自ら罪の一分を負擔せざるべからざるものあり
○在朝佛敎徒 の如きは慎重考慮を要する處なるが、東本願寺の元山別院にては上野輪番夙に此に看る處あり併合の實績を加へんと欲せば併合に關する實際上の知識と鮮人に対する一致せる見解とを有せざるべからずと爲し、豫て日刊新聞元山毎日に毎週一回宗敎欄を設け自己の意見を吐露し居りたるが、多くの鮮語新聞はこれを翻訳して転載し好評を博せるより近時対鮮人問題を論及しつゝあるが更に官民合同にて指導方法を講究する目的を以て
○読書會を新設 し既に過般第一回會合を爲し勞働問題なる論題の下に會員相互の意見を交換し歸一する處を新聞に公表し警世の資に供したるが、今後は公開演説をも催し吾が同胞の自覺と新同胞の諒解を企畫し大に奔走し居れり、氏は四十五年の大谷大學一部の出身にして現朝鮮布敎監の弟に當る真摯なる青年なるが、氏が最近の活動は問題と共に識者間に在りて
○均しく注目の的 と爲り居れり佛敎徒として彼に強ゆることを姑く措き先づ同胎の内省自覺を叫びたるは流石に宗敎家の態度にして併せて氏が識見の高邁を偲ぶに足るものありと謂えり。

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