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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「大谷派の開敎方針」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1922年1月28日
本文
去る二十五、六両日開會された大谷派の敎學商議員會で開敎に關する方針其他が審議されたが両日とも話は開宗記念と募財に關する辺に及び當局と商議員との間に種々の議論があつたが、一元的立場から宗門を見て行く議員達と二元的に止むを得ざるに出でたる募財といふ腰を据へた當局との一致点が生れやう筈もなく、會議は漸く開敎に關する方針として將來大谷派の海外布敎は寺院制度を布きて會計の独立を圖らしめ開敎使を優遇するの參点を決し其の施設等は當局に於いて考察することになつして出された説敎所開設等に關する規定は尚當局の熟考を經て付議することになつた。
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