植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「宗敎と植民地との關係」
作者
早川賢譲
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1892年6月12日
本文
其始め本國に倚りたるも年處を經過するに随て全然本邦と異なる氣候風土其他外面周囲の物に感応せられ冥々の裡に其思想感情を変じ全く本國と利害得失相分離して遂に独立するの傾向あるは史を見る者の知る所なり
反論者或は謂はん甚だしい哉論者の言ふ如く殖民てふ者は其土地の圍繞物に感応せられ冥々の裡に本國と其利害を異にする者と謂へば今植民地に向て本邦の宗敎を弘布伝道するも何の利益かある試みに思へ本邦の宗敎を植民地に布敎せんとするは要する所ろ本邦より移住せし幾多の人民をして本邦と同一の宗敎を奉ぜしめ利害得失を本國と同ふせしめ結局本國を想ひ本國を愛慕するの觀念を繋ぎ植民地の上に國と云へる一種の念を存在せしめん爲に非ずや
宗敎の性質は世界人類の精神を支配する一種無形の大勢力たる者とせば何ぞ区々たる我他彼此際限の差別を立てん
去れば世の宗敎家が古より航海萬里波濤を凌ぎ山を越へ嶮を侵し身は瘴癘を冒して遠く異域に布敎伝道する豈夫れ彼等の胸中唯だ本邦の利害のみに關係して然る者ならん歟
然れども欧州各國の政府が競ふて本國の伝道師を植民地に派遣する其底意を叩かば全く本邦に利害の關係なしとは斷言する能はざるが如し
今植民地を侵略するに宗敎の力を用ひしと云へば是偶ま法敎たる者の政權の爲に害用せられたるこそ悲みの至りなれ然れども我國は欧州各國の如く佛敎縦令政府と密切の關係有て布敎伝道すると仮定するも豈能ぞ侵略の目的を以て布敎に従事せん唯だ夫れ従來本國に在て統一の佛敎に馴染したる人民が異郷へ移住して習慣風俗の異なる激変に遭遇し一身上の安全定らざるに當て此先入の佛敎思想の冷却せざるの間に布敎盡力して天涯に佛敎的人民の團體を組成するは宗敎家たる者の義務に非ずとせんや
各宗合同一致の方針を取りて此遠圖を爲さば移住人民の到處に従て布敎伝道し庶幾すらくは宗敎拡張の目的を達し天涯漂泊の人民を五里夢中に彷徨せしむるの患無からん歟