植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「宗敎家の居ない朝鮮」
作者
稲光黎民
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1925年12月9・10日
本文
現在、朝鮮に於ける宗敎の中では、キリスト敎が最も有力であつて、其の有する布敎所數二千六百八十五、布敎師數二千六百五十參人を算し、ついで佛敎の寺刹數千百九十八、僧侶數七千二百二十一人、これに神道其他の類似團體を加へれば、所謂宗敎家と呼称せられるもの、全鮮に渡つて、おそらく一萬五千を下らないであらう。但し、これは大正十參年度末に於ける、朝鮮總督府の調査によるものである。
これによつてこれを見れば、今日朝鮮の人口總數を千七百八十萬と見て、大體千二百人に対して一人の宗敎家が居る訳であるが此の多數の宗敎家は、現在一體何をして暮して居るのだらうか?っ彼等は云ふだらう、私達は忙がしい、内鮮融和、産業開發、曰く何、曰く何、等々々、然しまあ、とにかくむづかしい理窟は抜きにして、目の前に展開されて居るあからさまな現實を見つめて話をすすめやう。
内鮮融和と云ふ事の、實際の意義が何であるか、これが第一の問題なのであるが、しかしそれはここでは論じないとして、とにかく現在私の知つて居る限りの時代意識に目醒めた鮮人達は、個人感情に於てはとにかくとして、民族的には決して日本人と融合して居ない、この事はあらゆる論証を擧げて斷言し得るところであるが、こゝに最も手近い話として、私達が口癖のやうに云ふ「内地」と云ふ言葉に対して、敎養ある鮮人はいつでも眉をひそめて居る。渡鮮當時、私は講演等の席上で縷々此の言葉を聯發して、あとで親しい鮮人同志から注意された事であつたが、彼等の云ふ所を聞けば、内地とは殖民地の対語である。然し鮮人は觀念上に於て、決して日本を母國だと思つて居ない。朝鮮にとつては、朝鮮國體こそ内地で、日本は要するに日本である。と、この一事は所謂「内鮮融和運動に対して、如何なる事を示唆して居るだらうか?
忌憚なく云へば、今日日本の宗敎家達の所謂内鮮融和とは、鮮人に目かくしをさせ、真實を見せまいとするそれである。さうしてまた、彼等の所謂、鮮人救済、保護なるものは、つきつめて見れば差別の概念から生み出された大國的慈悲か、さうでなければ優越感に裏づけられた嗟來の食である。
昨年の大旱魃に引續く大水害は朝鮮五百萬の無産階級をして、瀕死の飢餓に陥らしめた。しかも、彼等にとつて一層の悲惨は、それが只の天災ではなく、天災に加ふるに帝國主義的搾取○○○○○○○○○○である。そこに、呪はれた彼の受難の姿を見ないか?
いまや死に瀕した五百萬の兄弟は、寒天に臨んで、僅かに樹皮、フク草を噛んで、痩土の上に、細り行く生命の綱にしがみついて居るのである。これが悲惨でなくて何だ。しかも全鮮に遍滿する、一萬五千の宗敎家中、未だ曾てこのために奮起した一人の義人あるを聞かない事は何と云ふ不思議だ。居るのか、居ないのか、一萬五千の宗敎家は一體何處に何をして生きて居るのか?
「宗敎家の居ない朝鮮―」私のこの大胆な放言に対して、幸に抗議を申込んで來る一人の宗敎家があれば、私はもつて瞑するに足りるのである。(京城、十一、廿六)