植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「愛鮮運動 向上會館の新運動 青森徳英氏の奮起」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1925年9月19日
本文
朝鮮京城にある大谷派の向上會館は渓内弌恵氏が内地及朝鮮を奔走して純粋に朝鮮人敎化の爲めに設立した會館で建築と設備と丈けに十一萬六千圓強を費したものである。朝鮮人だけでの寺として學校としてまた職業を與へる向上としてあらゆる活動を設けてその成績は頗る見るべきものがあるが守成の難は近年莫大なる經費の不足に當事者を苦しめてゐる。
現在の 主任青森徳英氏は會館以來懸命の活躍をやつてゐるがその間長男と夫人と厳父がつぎつぎの不幸にあひ古郷の寺は七十歳の老母とその次男(幼児)とがゐる丈けで心身を朝鮮人のためにうち込んでゐる。だが經費の不足は十四年の一月までに已に一萬二千參百餘圓に達しどうしても負債の償却と活動資源を作らなくてはならない。職業補導で働かしてゐる向上の
經営法 を変へたらといふ話もあるが生徒の工賃は全部與へることになつて朝鮮人の物心二面の向上をはかつてゐるのだから資本主義經営に変化することができない。寧ろ生徒の生活を熟知する當事者としては生徒の収入增加をこそはからなくてはならないのだから經費の補充は多方面に求めるの外はない。昨年の秋から今年の春まで内地で京阪付近を奔走して五千餘圓の
寄附は 得たがまだへ焼石に水の有様で一人で千圓を恵んだ人もあつたが夫は只一口で他は月掛の口もある、さういふ窮状の中から生れた新たな運動が今度愈愈愛鮮義金の計畫をすゝめる爲めに青森氏は「向上會館參觀の栞」と題する冊子でその事業の全般をくわしく解説し、「永遠の善行」といふ小冊子に愛鮮義金の計畫を明かにすると共に
一般に 訴へてゐる。さらに朝鮮に於ける佛敎復興のために又内鮮協力を實現するため「向上運動」といふ月刊誌を發刊し運動をすゝめる事にした。愛鮮運動は愛鮮塔をつくつて愛鮮義金の寄贈者を登録した愛鮮カードを納め「向上運動」誌を中心にして愛鮮義金は一口十圓として全國に亘つて募集するがその運動の手始めに先づ大谷派の全國の講中に「永遠の善行」を贈つて訴へる筈であるが東本願寺の
當局者 も現下の本山として直接の援助ができないらしく右の運動の都合よくゆく様にと願つてゐる様子である。