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記事題目

「朝鮮に於ける敎化事業現象」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1921年10月14・16・17日

本文

朝鮮に於ける内地佛敎各宗派經営の社會敎化事業は京城に孰れも本部を置き各地に敎會堂又は新寺を建立して敎化の實を擧げようとしたが今日までは鮮人にまでその敎化を及ぼす者尠く多くは内地人の葬祭の具になつて居る様だが、四五年以來鮮人敎會の目的を達するには先づ物質方面の救済を前にするの利益を察して各宗競うて社會事業を起すに至つた。
浄土宗の開城學堂商業學校、和光敎園、大谷派の向上會館を始め各宗聯合の慈済院、日蓮宗南鎮海佛敎同志會、曹洞の興福寺學術講演會其他日本育児院支部、大田佛敎慈済會、京城慈済院會、仁川佛敎悲田會、平壌慈済會の數々である。
開城學堂商業學校の沿革は最も古く明治參十四年六月浄土宗開敎使伊藤祐晃氏が創立したもので朴權助、萩尾守一氏等の賛助を得て鮮人敎化の爲に日語敎授を目的としてゐる、大正八年實業學業規程に準拠して商業學校と改め浄土宗敎育資團の經営に属し校長は松尾真善氏で現在収容學生一五六人十年度豫算五九〇四圓である、附属事業に立太子記念青年會を設け講演、運動、文芸の參部を置き其他日曜講話會、社會事業研究部修養會を設けて居る。和光敎園は浄土宗開敎院び事業で本年一月から大改正を行ひ
老人會、婦人會、青年會、児童會を設け生活の改善、衛生思想の普及、家庭の調和、經済思想の鼓吹その他社會道徳を説いて居る、事業としては勞働宿泊所、學園及び医療部で宿泊所には人事相談部を置き今春以來二十二名に職業を紹介した、宿泊人毎夜六十名以上の鮮人のみである、學園には參百八十七名(内女子百二十名)の鮮人生徒を収容し医療部は六月一日開設無料診察藥価は實費を徴収して居る、敎團の經営者は久家慈光、荻野順導、江上秀静等の各氏である。
向上會館は南山本願寺別院溪内氏の主唱であつて目下事業進行中であるが總督府は府内天然洞の舊日本公使館跡千二百餘坪を貸附し十參萬圓の豫算を以て會館を建設し敎養、修學、授産の事業を開始する豫定である、興福寺學術講習會は不就學兒童に対して修身、國漢、算術等を敎へ現に百參名を収容して居る。鎮海佛敎同志會は日蓮宗逸見開敎司監の事業で鮮人中心の佛敎研究機關である、慈済院は大谷派の經営であつたが大正六年各宗聯合で經営する事に決し京城府内元町にあつて行路病人の救護を目的として居る、敷地七百六十坪に百四十參坪の建物を有するが一般病院式で現在二十六名の内地人と九十七名の鮮人を収容して居るが本年度よりは實費診療を始めた。其他は小計畫で基敎側に比し佛敎側は未だ創設時代である。

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