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記事題目

「朝鮮に野心なし 妙心寺執事長弁明」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1920年12月24日

本文

妙心寺派は朝鮮參十本山を自派に歸属せしめんとて後藤瑞厳氏と李晦容の提携を促がし曾ては妙心寺に招き寄せ又た朝鮮學生を臨大、花園中學に収容し居り朝鮮各派も既に之を認め妙心寺派の野心と称し前報の如く非難しつゝあるが、同派本所日吉執事長は弁明して語る「本派は更に朝鮮本山とは無關係である事を言明する、本派布敎使後藤氏が京城に於て朝鮮僧侶の敎化運動を賛成し敎會所を貸與したとか又は後藤氏が鮮僧に伴はれて布敎したと云ふ事は聞くが決して朝鮮本山を妙心寺所属たらしめんとの考へもなく又た交渉を受けた事もない、李晦容氏が後藤と交際し内地へ來たことがあり、又李氏自身が何事をか策し遂に委員長(準管長)の席を去らしめられ姜大蓮氏が就職したが姜氏と李氏の間に意志の疎隔を來し姜氏は李氏の事を種々に臆測して吹聴するさうである、朝鮮學生を収容し補助して居る事は妙香山の關係である、妙香山は一時衰滅に歸せんとせるを本派の古川大航氏が再興せしめた關係上百餘名の僧侶の希望に依り監督一名を本派から任命する事になつて居て現在神谷宗一氏が就任して居る、其の關係上妙香山僧に限り本派學校に収容されて居るのである」と。

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