top of page

記事題目

「朝鮮の宗敎」

作者

大谷大學敎授河野法雲

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1916年8月3・4日

本文

大谷大學敎授河野法雲、住田智見、舟橋水哉の參氏は過日本紙所載の如く、去月五日京都を立ち、六日夜釜山に着し、それより京城、平壌を經て鎮南浦に行き、・・・・・
通度寺の如きは四百人餘の僧侶が居つて、一ヶ年の収入は二萬圓程であるやうな、(中略)しかし僧侶は皆無學である。通度寺の中には僧侶の子弟を敎育する學校があつて斎藤治參郎氏が、敎鞭を取つて居らるゝ。其上に佛敎専門學校があり、華厳經、楞厳經、起信論、圓覺經等の講義があると云ふことであつた、今後若し朝鮮人に佛敎を再興せんとするならば通度寺あたりの僧侶を敎育して、彼れ等に骨を折らすやうに奨励することも一法であらうとおもふ。
内地佛敎各宗で朝鮮に布敎して居るのは、真宗両派、曹洞宗、真言宗、日蓮宗、浄土宗等であつて、釜山、京城其他有名な地には悉く入り込んで居る。けれども無論皆内地人に対する布敎が目的であつて、まだ何人も鮮人布敎に着手しては居ない。
大谷派は最も早くから朝鮮布敎に着手して居るので、別院も既に釜山、京城、仁川、木浦、鎮南浦の五ヶ處に設立せられて居る。けれども實際布敎の手の拡がつて居る程度からいふと、第二位第參位に落ちて居はせぬか。蓋し大谷派も無論内地人のみを目的として居るのであるが、朝鮮へ行つて居る内地人は、多く近江、美濃、尾張又は加賀、能登、越中、越後と云ふやうな大谷派の盛んな土地の人々では無く、九州、馬關あたりの人々が多い。そこで始め大谷派のみが布敎して居た頃には、皆大抵大谷派に歸依して居たものであるが本願寺派及び其他の宗派が夫々布敎に着手するに至つて、皆元の宗派に転派して仕舞つた。そこで現在では本願寺派が信徒の數は最も多いやうである。
西本願寺の布敎者は、同じく朝鮮に布敎して居る者同志が互に反目したり、衝突したりして居るから、大に布敎の進展を妨げると云ふことである(中略)真宗は肉食妻帶公許の宗旨であるから海外布敎などの折に、先方で家庭を持ち、永住の目的で落着いて布敎するのに都合が善ささうに思はれぬのに、却つてさうではない、真宗の人には一時的の考の者が多く、永住の意氣込みで行つて居る者は至つて少いさうである。(中略)布敎師の永住といふ事も大に布敎の成功不成功に關係があるのである。總督府でも永住の布敎師が朝鮮に來れば大に歓迎し且つ出來る丈の待遇もすると云ふ決心であるやうな。
最後に一般朝鮮人の宗敎界は誰が之を領して居るかと云へば、無論耶蘇敎である。(中略)彼等基督敎宣敎師は朝鮮に於ける日本の政道に対してやゝもすると反抗の氣勢を示す、伊藤侯の暗殺も、寺内伯暗殺の陰謀も、皆基督敎の敎唆に出たものだと云ふ話である。かう云ふ基督敎が鮮人全體の精神を支配して居ては、甚だ危険であるから、總督府も日本の佛敎徒がどしへ鮮人に布敎して、彼等全體を早く立派な佛敎國民にしてもらひたいと云ふ考へを持つて居るさうである。

bottom of page