top of page

記事題目

「朝鮮佛敎大會彙」

作者

雑誌名

『朝鮮佛敎』

号数等

6

年月日

1924年10月

本文

財團法人組織に決定
十六日正午東京銀行俱樂部に於て朝鮮佛敎大會を法人組織にする件に付き相談會を開いたが
出席者は清浦子、澁澤子、野中鮮銀總裁、佐々木壹銀頭取、松本日銀副總裁、參井、參菱其他銀行家八人、下村宗敎局長、古橋總督府事務官、道重增上寺管長、朝鮮佛敎大會常務理事李元鍚氏等で
協議の結果、滿塲一致を以て財團法人組織の件を決議し、その執行委員として澁澤子、野中鮮銀總裁宮尾東拓總裁の參氏選定され午後四時敎會したが佛敎各宗聯合主催にて十八日午後四時芝增上寺に於て朝鮮佛敎大會理事李元鍚氏を招き歡迎會を開くことになつてゐるその機會に於て各宗聯合會は徹底的に朝鮮佛敎大會を應援することゝ布敎師の養成を圖る事業を決議する筈であると
 内地佛敎團體 聯合後援
朝鮮佛敎大會を財團法人に組織する件につき曩に銀行俱樂部に於て決議され澁澤子爵、野中鮮銀總裁宮尾東拓總裁參氏が執行委員に擧げられたるは既報の通りであるが更に東京に於ける各宗派聯合會及護國團の重要なる幹部十四名は十八日午後五時芝增上寺に集まり朝鮮佛敎大會の常務理事李元鍚氏を歡迎する意味の宴會を催し旁々懇談會を開き同李元鍚氏より朝鮮に於ける佛敎事情につき詳細の説明あり日本佛敎各宗聯合會及護國團にては赤誠を以てその後援をなすことに一致し朝鮮佛敎大會が財團法人組織となり基礎確立されると同時に朝鮮人布敎養成を日本内地の各宗大學に派出して佛敎に關する研究をなさしむることに相互の諒解があつた(東京)
 齋藤總督訪問
朝鮮佛敎大會は其組織の變更を行ひたるを以て會長李允用男、副會長前田昇氏、常務理事小林源六、中村健太郎、理事大和與次郎の五氏打聯れて二十六日總督府齋藤總督を訪問し役員就任の挨拶を陳べた。
 政務總監訪問
九月十六日午後四時理事會の終了後會長李允用男、副會長韓昌洙男、同前田昇氏、常務理事小林源六、中村健太郎の五氏は挨拶のため打聯れて大和町の總監邸を訪問したが總監不在なりしを以て二十六日改めて總督府に訪問し佛敎大會の沿革及趣旨に付陳述したるが總監も思想善導上佛敎興隆の必要を認められ之に關する種々の高説を洩らされた
 理事會開催
九月十六日午後二時から長谷川町の佛敎大會々館に於て理事會を開催し聖徳會創立の件を附議したが出席者は
 會長李允用男▲副會長前田昇氏▲同韓昌洙男▲常務理事小林源六、中村健太郎兩氏▲理事荒井初太郎、大和與次郎、申應熙、服部豊吉の四氏
であつた先づも小林常任理事より右は從來京城に聖徳太子を奉讃する目的の太子會なる土木建築業者の間に組織されて居つたが先般聖徳太子御建立の寺として有名な法隆寺の貫首佐伯大僧正が來城された時同太子會から一塲の御講話を御願した時佐伯貫首から太子會の範疇をも少し擴張して聖徳會となし出來得べくんば太子堂を建立しては如何との話が出たのが動機で太子會から之を理事會に謀ることゝなつたとて其理由を説明し種々協議の結果今直に聖徳會なる別の會を組織するよりも佛敎大會の手に依りて敷地の選定、太子堂の設計及建立等の斡旋をなし愈々其の成立を見たる暁に於て聖徳會を創立し其の經營を同會に移すことを決議したので不日評議會を開催し確定することゝなつた。

bottom of page