植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮佛敎復活の好機」
作者
甲斐方策
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1894年9月10日
本文
朝鮮の僧尼が李朝以來京城以外に擯斥せられて寸歩も其内に踏み込むこと能はざるは世人の夙に熟知せるところ、而して吾人は多年此禁の解かれんことを望むや甚だ切なりき何となれば此れ啻に朝鮮及び朝鮮佛敎の爲のみならずして其利害は實に東洋佛敎の全體に及ぶものなればなり然り而して今回我國の厚意と斡旋とにより韓廷大改革の決行せらるゝや殊更我輩は彼國佛敎徒を繫縛する第鎖鑰の同時に解かれんことを祈りたるに去月十五日の時事新報は京城通信員よりの特報なりとて朝鮮國萬政の大革新を掌る軍國機務所會議が去る七月卅一日に於て
僧尼入城の禁を解くこと
を仮決したる由を報じぬ然れども惜ひ哉所謂仮決にて「更に審議することゝなれり」との但書あるを以て未だ安心する訳に行かず其後去月下旬に至りて朝鮮新内閣の組織は成れり其總理は金宏集めなる人の由にて吾人は未だ其如何なる人物なるやを知らざれども所謂新内閣の首領なれば随分智略に長け徳望厚き人なる可し又其内務大臣閔泳啇(或は云う閔泳奎)なる者も亦相當の人物なる可し而して其協弁たる李俊鎔は則彼の今度改革の掌鍵者なる大院君の愛孫にして頗る氣援ある人の由なれば此際我佛敎徒の在韓者は或は自身に或は韓地の僧侶を懲慂して直接間接韓政府に忠告して僧尼入城の禁を解かしめざる可らず而して之を爲すには先づ新内閣の十大臣十協弁等をして皆此入城解禁の賛成者たらしめざる可らず聞けば今後の事件後我邦僧侶の入韓せるもの真宗西派より加藤恵証氏東派より藤岡了空氏日蓮宗より協田堯淳、守本文静の二氏あり加ふるに青年佛敎徒菊池謙譲氏の事件前より本願寺別院に在るあり願くば諸氏が協力して此千載の好機に乗じ朝鮮佛敎復活の端緒を切り開かれんことを望む次に今度入韓せる真宗日蓮宗の僧侶諸氏は大に該地に其宗を布き以て同國従來の隠遁的佛敎を一変して活動的佛敎たらしめ世出世反撥の佛敎をして真俗抱合の佛敎たらしめざる可らず苟くも此大綱にして曳かれなば小綱は従つて擧らんのみ若し夫れ今日の好機を失せば朝鮮佛敎の復活夫れ將た何れの時をか期せん