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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮僧の引張凧」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1911年4月27日
本文
去十五日京城を出發し東本遠忌に參拝し既に歸還の途に就きし朝鮮僧金○○氏等一行が釜山に往路京城より釜山に着するや隙に乗じて西本願寺が之れを奪はんとして失敗せし滑稽あり、そは十五日朝京城を出發して釜山に着する時間を誤り東本願寺よりの出發へ後くれしが、時間の齟齬せしことを知れる同地西本願寺別院はプラットホームに出迎を出し直ちに西別院に請じ入れ東派別院に対して一言の通告も與えざりき、一方朝鮮僧の一行は東西を弁知せず本願寺より出迎せりとの言を信じ何等怪しむ所なあkりしが、該別院に於て待ち構へし一行の行衛を失ひしことゝて周章狼狽し、人を四方に派して探せしめ漸く西本願寺に導かれたるを突きとめ一談判の後無事に引取りたるが、該朝鮮僧が當地に滞在中も彼等を捕擭せんことに腐心せる西派は如何にして誘ひ出せしものか、一行の一人を西本山に聯れ行き、殆んど交通遮斷なして他に交らしめず、強ゐて誓約書様のものを書かしめ、今後西本願寺の爲に働くべきことを盟はしめたるが、之れも直ちに東派の知る所となり奪ひ返したり、而して釜山及び當地に於て此の滑稽を演ぜじ黒幕は西派の開敎師にして京城監獄の嘱托敎誨師巌常圓に監獄に於ける欠勤數日過ぎしにも拘はらず何等其の手續を爲さず、斯かる児戯の爲めに小策を弄しつゝありと、朝鮮僧の引張凧とは如何にも朝鮮式なり。
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