植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮國布敎の第一着」
作者
長痩子
雑誌名
『京都新報』
号数等
年月日
1894年10月29日
本文
今の時宇内萬國何處か佛敎を弘通せずして可ならん、何れの國か又佛敎を歓迎せざる所あらん、然れども我輩は佛敎を弘通するに尤も容易にして意外の結果を得べきは、文化進歩の欧米にあらずして野蛮草昧の朝鮮に在ることを斷言するに憚らさるなり、道理上之を論すれは佛理の高尚幽遠なる文明國に歓迎せられて野蛮國に蔑視せらるゝは其當然なり、然るに吾輩が朝鮮を以て佛敎弘通の尤も容易なる者となす他なし、朝鮮改革の原因是なり
凡そ一國の革命起る其原因多くは下層より來る者なり、乃ち下民の希望を達せんと欲して起る者也、(中略)然るに朝鮮今回の改革は前數者と其趣を殊にして、全然逆比例をなす者あり、朝鮮の改革は實に他動的に來れり、故に彼れ・・・・・・の弊去て分業的政府の組織せられしやを知らす、甚しきは閔泳駿か聚斂の當時と目今改革以後の政治と何れか善何れが悪なるを解せす、只た政府が爲す儘に動き、其の言ふ儘に行ひつゝあり、随て改革の結果は前數者の如く容易に開明と称すへき点に至ること能はずとするも、之を動かすの容易なるは前數者よりは遥かに勝れり、是れ我輩が朝鮮布敎の意外に容易なると斷言する所以なり、
然れども凡ての活動力は常に下層に潜在する者なるに國民を相手とせすして佛敎の弘通を圖るは不道理の甚しき者なりとの疑問は必す免れさるへし、茲に於て我輩は答ふへし朝鮮の勢力は集めて上流社會に在り、故に上流社會を動さは朝鮮全體を動かす者と斷言して敢て不可なかるへしと、況んや我輩が聞く所の如く朝鮮國民の彼が如く怠惰なるは、全く官吏の聚歛甚しきか爲なりとせは、其の病根は實に國民自身にはあらすして上流社會に在り已に上流社會を感化して國民亦た動き、上流社會を改悛せしめて國民の痼疾癒ゆる者とせは、朝鮮救治の策は國民を先とするよりも寧ろ其上流社會を感化せしむるにある乎