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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮布敎の現状及び將來」
作者
某朝鮮通
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1911年7月22日
本文
初め日本の僧侶にして布敎しに行つたのは東本願寺の布敎使であつた、ところが此の僧は京城の布敎所に居つたが、妻帶をし肉食をなして少しも・・・・・りないので、朝鮮人は甚だ快く思つて居なかつた(中略)他の宗派の僧侶もいろへ慾望を滿せしめやうと思つて、朝鮮人を偽るや何かして、朝鮮に対して、随分無理な事をなした。それで朝鮮人は日本の僧侶を非常に悪人のやうに思ふて居る。イヤ全く悪人と考へて居る、そして本願寺即ち一向宗が最も早くから入り込んで居るので、日本の僧侶を見ると「一向宗」と称し、悪人のことを「本願寺」と呼んで居るものが多い情けない話だ。(中略)日本の坊主が朝鮮に行つて、第一に着眼するのは古刹や寺の財産等で、堂々たる古刹に座つて大方丈を氣取らうとか、寺の財産を掠奪して自分の懐ろを肥やさうといふやうな考へを起しいろへの悪手段を弄したもので、之は各宗各派の坊主が悉く爲さゝるはなしといふ有様だ。(中略)基敎信者も近年非常に多數になつたもので實際中々の勢力がある。之に反し日本の僧侶は、前にも言つた通り、常に何か妙な方面に野心を抱いて居るのだから、第一に信用がなく、随つて朝鮮人に対する布敎は今現に少しも出來て居ないといつてよい位である。
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