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記事題目

「朝鮮敎化と各宗 水野總監との會同」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1922年4月23日

本文

佛敎各宗の朝鮮布敎は独立騒ぎの時局と社會の督励に刺激されて在留内地人の布敎以外に鮮人の敎育及社會事業等の施設を多少なりと見るに至つたのは一段の進歩といはねばならぬが基督敎が本國の後援と豊富なる伝道會社の資源と多年の經験知識とを以て鮮地に深く廣く活動してゐるのに対照すれば殆ど比較にならぬ、頃日水野總監が東京に於て各宗の代表者と懇談を交換し、總監から朝鮮敎化と過去及現在について各宗の諒解と一層の努力を希望したことは、従來この種の試みの欠けてをつたことに鑑み、當局として遅れたりと雖もなさゞるには勝ることで仮令會同の内容が平凡であつたとしても朝鮮當局が敎化の充實に留意してゐる意志の一端を表示したゞけでも意義がある、特に當日佛敎朝鮮敎會の椎尾博士から朝鮮敎化の充實を期する具體案として佛敎伝道會社、朝鮮敎化のために敎育機關設立、朝鮮佛敎の特色を發揮せしむべしとの意見の提唱があつたことは大に注意すべきことで、佛敎徒の朝鮮敎化の根本に触れた提唱である、各宗派が朝鮮に於て現に行ひつゝある、内地宗派延長主義の敎化施設は固より萬能でなく、早晩ゆきつまるべきは當然で、微力なる各宗の現状を以てしては敎化の徹底は望まれぬ、各宗が誠意を以て社會の有志と協同し堅實なる規模のもとに根本方針を樹つべき運命に迫られてゐる我佛敎界は椎尾氏の提唱されたやうな意見に対して虚心坦懐に研究を進めんことを望まざるを得ぬ。

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