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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮釜山港通信」
作者
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1890年3月6日
本文
(二月廿參日發安養寺晋氏報)明治廿年十二月末調釜山港日本人民總計戸數六百十八戸。人口參千〇七十一人内(男千四百八十七人女千五百八十四人)已上人口總數の外當港海岸に碇泊の船中居住民男女共に合計參百四十人あり貿易商日に月に繁栄随て居留人民も月々に增加し實に日本國の殖民地とも云ふべき程なり日本居留地内共立會社は日本共立海産會社。水産會社。日本共立英語學校生徒五十名男四十五名女五名。日本共立韓語學校生徒四十五名男生なり。日本共立小學校高等尋常簡易生徒總數百餘名。第一銀行支店。百二銀行支店。郵船會社支店。同じく支店。大谷派本願寺別院輪番太田祐慶留守居代理在勤稲葉祐応氏布敎上盡力し居れり。(以下略)
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