植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮開敎再認識 東西本願寺先づ目ざめよ」
作者
宇野真○
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1939年12月17日
本文
興亜の焔の燃え旺るとき日滿支共同體の目標が常に○○さるところになんの異論のある○はない。さるにても是等使命達成の重擔を荷負するものが相互青年の両肩に在りとするならば一方に於て○○して、興亜理想の實現に寄與する重大なる役割を熟諭せしむることは、すでに一部の事實としても、茲に忘れられたる問題は參國紐帶の地、渡りに船ともいふべき朝鮮青少年の問題である。伝統的な觀念から支那は朝鮮よりも優れた文化を有する國と前提する上に敎養すべき青少年を支那に選びて朝鮮を忘るるは恐ろしき錯誤ではないか。○く敎養環境に於て劣るものとすれば○一層其の努力が払はれなければならなうともいひ得る。
嘗つて滿州國成立以前に彼の地に於て恐れられたものは匪賊と赤化と朝鮮青年の參者であつた。匪賊も赤化も疑もなく退散せしめた今日に及び耳にして既に二十年なほ朝鮮青年の問題が○嵌の處置をみないといふ事はどうした事であらう。
そこで何故に朝鮮の青年が然く赤化といひ匪賊といふ一列に恐れられたといふ事は、興亜認識の徹底せる今日ではもはや○々しく述べるべき筋合ではない。
元來彼地の青少年は日本内地に來ることを望んでゐる。然るに内地に來て失望すら覺えてゐるのである。
これを宗敎殊に佛敎徒の側よりみれば果して朝鮮僧侶の開敎使が各道に力を示してゐるかどうか。支那語を解せずして支那開敎もなく、みにくき在住邦人の葬祭を奪ひあつてゐた過去の事實よりして、朝鮮に於ても亦なほ今日此の事象を繰り返へしてゐるとすれば、率先東西両本願寺の如きは彼地への邦人開敎使を全部差止め、よろしく朝鮮生れの僧侶をして其の任につかしむべきである。然もこの理想實現に一歩も近づかないといふことは時局対處の方策に於て一つの大きな欠如を示してゐるものといふべきではなからうか。
従つて其の方策としては彼地各道の選定を經て青少年を訓育すべき日本寺院の宏量が要請される。單に一部に限られてゐるその拡充こそ今日最も宗敎敎育の機關を設置して真の朝鮮佛敎徒としての使命達成への將來をかくることも考ふべき問題である。
要は宗敎敎團の朝鮮開敎再認識の重大転換時期に到達してゐることを開陳する。