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記事題目

「朝鮮開敎私見」

作者

大派宣伝課主任 竹中慧照

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1929年10月6・8・9・10日

本文

朝鮮に於いては内地の佛敎各宗は先を競ひて開敎に従事し、それぞれ開敎主脳者を置き、おのおの布敎所を設け、専ら開敎に努めてゐる。しかし茲に開敎といつてゐるが、厳密なる意味に於て果してかく名けることが妥當であらうか。成程、その當初に於ては現今のやうではなく、在留内地人も殆んど數へる程であり、しかも人跡稀なる未開の地に布敎を開始することは誠に困難事であつたことはいうふを俟たない。又、そうした布敎には内地に於てそれに従事してゐる者の想像することの出來ない涙くましい程の努力が払はれたことも否めない。しかし一二の小さな例外はあるにせよ、佛敎各宗の所謂開敎なるものは、所謂朝鮮在留内地人に対する布敎であつて、朝鮮人に対するそれではない。(中略)
單に内地人に対する布敎のみを以つて能事終れりとせず、更に一歩を進めて鮮人に向つても、廣く佛陀の福音を宣伝するkとおは、この際是非せねばならぬことではなからうか。特に、さまべなる意味から内鮮融和の叫ばれてゐる時、佛敎家の考慮せなければならぬ問題は寧ろ朝鮮人に対する開敎であらねばならぬ。(中略)
彼等キリスト敎の宣敎師が鮮内深く入り込み、莫大な經費を投じて敎會を建て、殉敎的ともいふべき苦心の結果、布敎をなしてゐる裏面には、よし國際的ないろへの動機や目的があるにせよ、彼等が鮮人の心霊を如何に強く把つてゐるかは想像以上なものがある。朝鮮に「政治は虎より恐ろしい」といふ諺があるが、そうした諺によりても知られるやうな、爲政者の苛政から脱する安全地帶として、多年外國の權力の影に○れることを普通事と考へ、しかも懶惰と徒食とが遂に國民性となつてしまつた彼等が、敎會の施設によりて物質的恩恵を受けると共にその身の安泰をも期せんとすることから、敎會に入つてゐる者も元より多數はあるであらうが多くの鮮人の心霊はキリスト敎により支配せられてゐることは疑ひのない事實である。(中略)
かくの如く宣敎師が鮮人の歸依を得るまでには、彼等の払つた努力の偉大なものがあつたことはいふまでものないが、彼らの開敎が如何に真剣であり如何に根柢ある準備によりなされてゐるかの一例を擧げるならば、平壌に外人部落といふがあつて、彼等は茲に朝鮮開敎の根拠地を置き、鮮人を対象とせる系統的に普通學校(小學校)を始め、中女學校、専門學校、神學校、さては病院までを經営し神學校に於いては専ら鮮人の牧師を養成するを目的としてゐるのである。かくて外國より渡鮮せる宣敎師は先づ參ヶ年間此地に止りて鮮語の研究と練習に没頭し、傍ら朝鮮事情を調査して後、鮮内深く入り込みて開敎に従事する原則としてゐる、かゝる準備あるため、彼等は直接鮮人に接し鮮語を以て神の福音を鶏林八道の○に叫ぶことが出來るのである。しかも欧洲戦争後、本國よりの資財供給は餘程少額になつたとはいへ、鮮人の○○を滿足せしむるには相當な物資を所有してゐることには変りはない。朝鮮に於けるキリスト敎の根強き勢力は實にかくの如き根柢から生れ來たものであることは佛敎者として忘れてはならない
これに反して内地の布敎使にして、かくの如き用意を以つて開敎せんと志せる者が果して幾人あるであらうか。又佛敎各宗に於てかくの如き組織によりて開敎の準備がなされてゐるであらうか。(中略)
しかし、これには第一に内地布敎使の鮮語研究を先決問題とせねばならぬ。これも一二の例外はあらうが朝鮮在住の内地布敎使にして鮮語を以つて自由に布敎し得る者が果して幾人あるであらうか。朝鮮の刑務所に於ける受刑者の大部分は鮮人であるが、それに対する總集敎誨は鮮人通訳を通してなされてゐるのであるが(無論、個人敎誨は敎誨師により鮮語によりてなされてゐるが)、それらの通訳を通しての敎誨にては到底敎誨師の真意を受刑者に伝へることは出來ない遺憾がある。いはんや一般布敎に於ては内地布敎使自ら鮮語を充分に談じ得るものでなければ到底その目的を達することは出來ないのである。この点に於て佛敎各宗はキリスト敎側の施設に鑑み大に考究するところがなければならぬ。(中略)
其他、鮮人の開敎には經典の鮮語翻訳、佛敎々義を平明に記せる印刷物の印行等々、いとへなことを擧げねばならぬであらうが、要は布敎使自身の殉敎的精神が根基をなすものであり、鮮語の素養といふことも必須條件であるが、音樂、儀式の適用といふことも考慮せなければならぬことであると信ずる。

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