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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「朝鮮革新の一策」
作者
咄堂
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1894年8月8・10日
本文
朝鮮頽廃の由來久し、決して一時の策にみを以て全治すべきものにあらず、一時これに刺撃剤を與ふる可なり、皮下注射をなす不可なし、たゞ之を全治せしむるにはまた長日月を要することを知らざるべからず、長日月何の爲めに要する、徐ろに其の人心を改良せざるべからざればなり、人心は如何にして改良せらるべきか、言ふまでもなし、佛敎の力のみ、於戯唯だ佛敎の力のみ。
朝鮮佛敎の頽廃此の如し、今ま翻て朝鮮在留の僧侶を見るに、一人の蹶然衣を振て事に従はんとするものなく、多くは其の思想をして全く朝鮮化せしめんとす、慨すべきのことならずや、既にも引用せる朝鮮雑志の著書は更らに佛敎興隆の策を立てゝ曰く、
第一 勇猛精進の僧侶を択んで彼邦の佛寺に入らしめ、自然的に彼邦佛敎の品位を高尚ならしむるの事
第二 内地に入りて排耶蘇的の空氣を衆民の胸中に注入する事
第參 僧侶をして医術を學ばしめ、内地各處に派出して、人民に施藥し、不知不識の間に佛の功徳に浴せしむる事
第四 貧民學校を興し、専ら貧民の敎育に従事せしむる事
第五 我邦有爲の僧侶を彼邦に遊學せしめ、其の智徳を研磨せしむる事
第六 廣く上流社會に交際して上流人士をして佛敎に歸依せしむる事
これ實に朝鮮佛敎興隆策の上乗なるものならむ(吾人別に朝鮮布敎論の腹稿あり、不日読者の清覧を汚すことあらん、)たゞ今日に於て彼を度し、彼を化せよといふにありこれ決して敎を欧山米水に布きたるの功に劣らざるなり、否、寧ろ優る所あるを思ふ、
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