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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「本願寺布敎使の遭難」
作者
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1896年3月6日
本文
朝鮮に於る布敎準備取調の爲め數年間同國に在留する真宗本願寺派の福岡県早良郡脇山村萬徳寺住職高田栖岸師は一旦歸山して昨年十月大洲鉄然師に従ひ再び渡韓同年十二月參たび同國に赴き金剛山に籠らんとて江原道地方の各寺に遊び本年一月廿四日金剛山表訓寺に着したるが折しも春川、金化、金城、准陽地方の暴徒勢日々に猖獗にして表訓寺に同師の籠り居ることを知るや同寺を襲ひ日本僧を殺して寺を焼払ふべしとて敦囲き居るにぞ高田師は同寺の迷惑を察して竊かに出發し山又山を越へて辛く通川湾に出でたる處同地にて本邦人吉水鶴吉と云へる山口県人に逢ひしが同人も准陽より賊に追はれて逃げ來りものゝ由にて両足を痛め困しみ居りしが高田師は同十一日馬にて元山に到り一命だけは助かりしも両足は雪中を走りたれば左右の五指は凍傷にて落ちんとし此頃元山の病院にて加養中の赴き本山へ通報ありし由實に師の如きは法の爲に竭したる人と云べし
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