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記事題目

「殉敎的精神なき―佛敎の開敎使」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1927年8月18日

本文

十六日東本願寺を訪れ權藤參務、竹中宣伝課主任と會見した權抱洋氏は日鮮融和に盡力する人ださうで權藤氏の會見後の談に權氏の斷片といふ左の一篇がある。
○總督府中心の政治的な日鮮融和は全然失敗でいくら行つても見込みはない。どうしても宗敎的立場から真實の融和をはからねばならぬが、その点米國宣敎師の殉敎的精神の旺盛なるに比して佛敎の僧侶は全然なつてゐないのが残念である。
○白人の敎師は生活が簡易であるが日本人僧侶は複雑すぎる。牧師は朝鮮人の村に行き朝鮮人の宿に泊つて朝鮮食をとり汚穢を厭ふ風が無いが、僧侶は内地人の宿に泊つて文化の低い朝鮮人の汚い家に近よらぬ。仕事と言へば内地人のための読經と葬式であつて鮮人としては無用の存在に過ぎない。
○新しい日本人の僧侶が來るとその第一に訪ねるところは總督府であり次に官吏の訪問である。而して朝鮮人を訪ねる事もしないし親まうともしない。而して總督府のやることなら無批判にうけ入れて夫を一般に伝へる。政治を超越して總督府のやることに批判を加へてくれたらいゝが夫が無い。
○裁判の如き随分内地人のためにのみ有利で朝鮮人に不利なことがあり警察などでも事例がある。そんな時に僧侶が奮起して官吏に無理を説いて朝鮮人のために計つてくれたら、朝鮮人は僧侶の政治超越の立場を認めてその言に聞くことになる訳である。
○とに各殉敎的精神の乏しい現在の開敎なら寧ろ打切つて引上げて貰ひたい。本當にやる氣なら佛敎の本當の精神を發揮するやうに殉敎的精神で真剣にやつて貰ひたい。夫には朝鮮人の僧侶を要請する事もいゝ事だらう等の話があつたが夫は親切な忠告としてうけ入れられた。但し權氏が談話の後に句佛前法主の揮毫がほしいといふ希望をもらしたさうである。

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