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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「浄土宗に將に着手せんとする朝鮮敎化の新事業」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1919年10月21日
本文
朝鮮に於ける本年の事件に鑑み浄土宗にては従來の開敎と相待つて鮮人敎化に力を注ぐべく福永氏を始め在鮮有力信徒の後援を得て計畫を進め、曩に竹石敎學部長の渡鮮打合を見、其の後豫定の如く全土を南北地中
參部の区畫に基き重立つ開敎師に依りて鮮人の實況視察を爲すと同時に一方鮮人に頒布すべく浄土宗の敎義、内鮮人の精神的關係、國民道徳の基準等を日支鮮參語の伝道用施本的文書を編輯し略ぼ脱稿したれば近く印刷し邦語の分は國語を読み得る鮮人に、鮮語の分は一般鮮人に、漢文は鮮人中の智識階級に頒布する筈なりと、
鮮人伝道師養成の計畫は目下適當の志望者を物色中にて、最初は小規模を以て京城に於て開始せらるべく、又た各地の既設敎會所と今回新事業との關係は既設敎會所に鮮人を招致し得る程度に達せるもあり、別に鮮人の爲に新設を要するものもあり、開敎師も之と同様經験素養に於て鮮人敎化に適不適あれば両々相俟つて
敎化の目的を達成すべく努め居る由にて、新計畫の經費に關しては前記福永氏等は必要なる伝道資金を提供するに躊躇せず熱心事業を援くると同時に最も着實なる發展を希望し居るを以て、同宗當局に於ても急激に大計畫を立て空疎放漫に失し期待に反するが如きことありしは後援者を
失望せしむるのみならず、宗門としても払ふべからざる汚点を開敎史に遺こさんことを慮り漸進的に堅實に事業の前進を圖らんことを期しつゝありと。
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