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記事題目

「浄土宗の朝鮮開敎總監」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1912年6月20日

本文

浄土宗の朝鮮開敎は、京城開敎院を本部となし、開敎使長を駐在せしめて開敎事務を統轄せしめ、各枢要の地に敎會所を設け主任開敎使を駐在せしめ開敎に従事せしめ居るが、近來開敎の發展に伴ひ、本部初め各敎會共開敎事務頗る多端となり、井上開敎使長以下各開敎使中には之が爲め充分に布敎をなす餘裕殆ど無き有様となれるもの少からず、然るに一方には近年内地人の渡鮮移住する者激增せる中には、同宗の檀徒亦た多數ありて益々布敎の要を感じ來りたるに依り、浄土宗務當局にては、現下の事情を察し、猶ほ將來に大いに布敎の發展を計らん爲め、今回新たに朝鮮開敎總監を置くことに決したり而して同總監は釜山の知恩寺に駐在することゝし、開敎本部は従來の如く京城開敎院に置き、開敎使長は主として開敎事務を執り、開敎總監は専ら布敎のみをなし、毎月一回宛各地の敎會所を巡回布敎をなさしむる筈なり、同總監此程來人選中にて、何れ近々人選確立し任命を見るに至るべきが、多分當地大本山知恩寺前住職小林大承師に任命さるべし。

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