植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「浄宗朝鮮開敎の進展」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1919年7月20日
本文
浄土宗竹石敎學部長は去月朝鮮敎況視察を兼ね在鮮特志信徒有力者の鮮人敎化計畫に關する打合の爲め渡鮮本月上旬歸任せるが、鮮人敎化計畫の内容を聞くに、多年朝鮮全土を相手に手廣く鮮人被服地を商へる實業家福永政次郎氏及び鎮南浦にありて京城に往復し内鮮人間に名望ある富田儀作氏は共に浄土宗信徒にして今回の同化融合を徹底せしむべく主として鮮人布敎を充實せんことを希望し之が爲には、相當資金喜捨を辞せずとて在鮮開敎使を通じて宗務所へ申出あり、竹石敎學部長渡鮮打合の結果、今直に五十萬百萬の巨額の寄付を受くるも人物方法等其宜しきを得ざれば特志を空しうするの虞あるを以て漸進主義を以て進むことゝし、先づ全土を中央部、南部、北部の參部に分ち之が主幹として中央部は開城學堂長松尾真善氏、南部は釜山の稲垣真我氏、北部は平壌の大谷清敎氏を充つ部内布敎所擔任開敎師と聯絡を執り、鮮人各部落に於て鮮語に習熟せる布敎師をして日語を敎授し簡易なる普通敎育を行はしめ、而も大擧的に一斉に開始せずして一方宛固めて一般に及ぼす方針を執り、一方京城に中學程度の敎育機關を設置し鮮人の子弟を収容し之に普通敎育と佛敎の一般智識を施し將來鮮人伝道の補助者として働かしむると同時に、内地の僧侶にして將來朝鮮人の伝道に従事せんとする志望者をも此處に學ばしめ、朝鮮の學生と共に起臥せしめん計畫あり、更に一面には以上の鮮人敎化に關する後援會を組織し先づ在鮮内地人の有力信徒より及ぼし、鮮人に対する内地同胞の同情を鮮人に認識せしめ布敎後援の實を擧げん計畫あり、京城に於て古城管堂、古城梅渓、平壌にては伊藤、梶道の諸氏、開城、釜山等夫れへ有力なる信徒總代との間に交渉纏りたる由にて前記中央及び南北両部の主幹に依りて着手すべき事業の順序方法等を調査し幾何の資金を要すべきか見積成らば福永、富永氏等は何時にても所要の布敎資金を寄附することになり居れりと、尚ほ右開敎進展計畫は當分敎學部に於て直接取扱ひ居るも一定の時期を待つて朝鮮開敎区長の手に移し充分驥足を伸ばしむる方針なりといふ。