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記事題目

「浄宗鮮人布敎成功」

作者

雑誌名

『中外日報』

号数等

年月日

1918年2月24日

本文

浄土宗務所では朝鮮人布敎の爲に京城に開敎學堂、夜學校、速成日語學校、平壌に鮮人學校等の經営をなしつゝあるが○州敎會所主任森徹冏氏は特に終始一貫渡鮮以來専ら鮮人布敎に盡力しつゝあり、現に二十四箇所の部落より一萬四千人の會員を得て會長に任道準氏を任命し有力者二千五百餘名の賛成を得て各部落の巡回布敎を行ひ寧日なき状態にて支出四千六百餘圓を計上し居れるが、宗務所よりは豫算上僅かに參百六十圓より補助せざるに拘らず森氏は警察憲兵隊等の援助を得て極力鮮人布敎に盡し去日も某方面に行かんとしたるに虎の來襲に孰れも辟易としたるに會長任氏は我身には佛陀の加被力あれば猛獣も恐るゝに足らずとて進み遂に虎を退け得たりと云ふ信仰逸話を申越し來る、鮮人布敎には森氏が一大成功者にして今後追々拡張し會員數萬人を獲て信仰の鼓吹に努めんと意氣衝天の勢ひなりと。

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