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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「海外事業と青年佛徒」
作者
秋畝
雑誌名
『明敎新誌』
号数等
年月日
1897年8月8日
本文
現時海外布敎を唱するもの、其實海外人を布敎するにあらずして、唯之れ我國移住民者に布敎をなさんとするのみなり、移住民の布敎をなす、元より必要なりと雖、之れ豈に直に海外宣敎と称すべけんや、豫の目的の誤れつゝあると云、即ち茲にありとす、海外布敎は未だ佛陀の福音に接せざる、慈悲の法雨に沐せざる、幾多可憐の民族をして、佛名を称し佛敎を知り、知ると共に而も之を行せしむるにあり、智識あるものよりは無智の矇民にあり、
由來殖民地の常情として、風俗道徳の頽敗を招き易く随て、宗敎の必要を感ずる詢に切なり、(中略)彼等の風俗を和らげ、彼等の道徳を進め、恒産なき彼等をして、我國の體面を瀆かし、我國の風俗を破らさるに敎化す、直接には移民者の伝道となり、間接には我國の體面を發揮して、海外に対する光栄ともなり、且は海外布敎の目的たる、彼等外人を敎導する媒介とならすんばあらず、是海外布敎に対する佛徒の職責たるにみならず、亦是國家に対する敎家の義務なりと謂べし、
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