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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「滿鮮に飛躍の真言宗 和田山階派管長朝鮮永住」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1920年6月6日
本文
真言宗には現在朝鮮及び滿州に大師敎會支部約五十、公称寺院十二ヶ寺を有し常に祖風宣揚に努力しつゝあるも何分朝鮮及滿洲の双方共開敎監督に其の人を得ず、且開敎師中にも之れと云ふ中心人物なき結果、各支部間に何等の統一なく爲めに信仰勢極めて旺盛なる割合に敎勢萎靡として振はざるが今回京城光雲寺住職が病氣の爲め辞職の意あるを幸ひ、
山階派管長和田大圓氏は進歩的思想を有するのみならず其の學識弁舌共に一宗の第一人者なれば金剛峰寺、聯合法務所、大師敎會本部協商の上金剛峰寺出資の下、光雲寺兼務住職たることを請ひ、滿鮮開敎總監として京城に永住を請ふべく、去月參十日法務所部長松橋慈照、金剛峰寺執行湯崎弘雄の両氏山科勧修寺に赴き渡鮮就任を懇請する處ありしが種々考慮の結果快諾されたり。然して
赴任の場合は其の肱股として實際事務を擔當すべき適當の人材を物色する筈なるが、今の處最近布哇開敎監督を辞任歸國したる關栄覺及聯合布敎師高橋慈本の両氏適任ならんかとの説あり、兎に角管長の朝鮮永住は他宗に先鞭を就くる訳にて山内の識者は和田管長の奮發を多としつゝあり。
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