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植民地朝鮮の日本人宗教者
記事題目
「滿鮮佛敎管見」
作者
雑誌名
『中外日報』
号数等
年月日
1918年6月26日
本文
西本願寺執行弓波瑞明氏は滿洲、朝鮮両地の敎況を視察して歸京された其管見談を二つ參つ記せば
△滿鮮布敎の 第一期は既に終り今や第二期に入らんとして居ます、滿鮮布敎の第一期は只移住内地人の尻を追ふて年忌佛事を勤めたに過ぎませぬ、第二期は第一期の如く移住民を目的でなく、滿鮮人の布敎を如何にするかと云ふことが問題であります。
△我田引水 のやうではありますが滿洲、朝鮮共に我が本願寺派が一番の勢力を持つて居ます、夫は地理的の關係から滿鮮両地の移住者は山口、廣島、福岡、長崎、鹿児島県人等を以て大部分を占めて居て多くはそれが本派の門徒だからです。
△何れの都市 でも其の十分の四までは我が本願寺派の勢力で其他の諸宗派が分割的に信徒を占領して居ます。(中略)
△本願寺派 に次いで勢力あるのは浄土宗で其次は禅宗らしいやうに聞きました、基督敎は一時非常な勢力を持つたものでありますが朝鮮では彼の併合後は一向敎民が利がなkぅなつたので信徒が減少したと云ふ話です、基督敎の根拠地は平壌でして大小敎會合して十四ケ所ある、此處では侮るべからざる勢力だと申します。(以下略)
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